サピエンス全史からの徒然、今回は「虚構」。
著者ハラリ氏は、ホモ・サピエンスに7万年前に認知革命が起こり、「虚構」の言語が出現する、と言っています。
私はこの本を読んで、自分の生活の中でこの「虚構」という概念を初めて認識しました。
個体同士でコミュニケーションをとる動物は他にもいます。
猿の仲間、クジラやイルカ、シャチのような海洋動物、鳥類など。
これらのコミュニケーションは、「事実」を伝えることが目的です。
「敵だ!」とか「えさだ!」とか。
ライオンが河辺に来たときに、インパラなどは「ライオンだ!」という声を発することはできますが、ホモ・サピエンスは「ライオンが川にきて水を飲んでいる」とより複雑な表現をします。
これを実現させるのが「言葉」です。
この「言葉」が生み出した最大の功績は「架空の事物について語る」ことができるようになったことです。
インパラは「ライオンだ」と言いますが、ホモ・サピエンスは「あのライオンは我が部族の守り神だ」という能力を持ったということでもあります。
そして生まれたのが、神であり、神話であり、発展して宗教であり、国であったりするわけです。
これらは実在しているものではなく、ホモ・サピエンスが作り出した「虚構」なのですが、この「虚構」を拠り所にして、あったこともない人たちが「協力」関係を持つことができるようになった、というのがハラリ氏の考察。
確かに我々が普段当たり前のように利用しているシステムや、考え方って「虚構」と言ってしまえばその通りだなぁ、と気付かされました。
国という形しかり、お金の概念しかり、会社の概念しかり、宗教や思想の概念しかり、家族であっても結婚という概念や、家という概念しかりです。
会社勤務時代はいろいろな人が声をかけてきたけど、会社をやめた途端にそういう人たちの多くが離れていきます。
彼らは”私”ではなく私の背後にある”会社”に目をむけていたことをその時にやっと自覚します。
当たり前なんですけどね^^;;
そしてその「虚構」を信じることによって、今の住まいに住んでいるし、隣の人に攻められずに住んでいるし、スーパーで遠くで作った野菜や肉や加工品を購入できているわけだし、安心してでかけることができるし、地球の裏側の人たちと笑顔で話ができたりしています。
またたくさんの情報を共有することで、自分だけでは得られない知見を簡単に手に入れることができます。
本しかり、学問しかり、ブログしかり、メディアしかり・・・
自然界では、隣同士が鉢合わせたら縄張りを守ろうとして戦いが始まります。
オスが子孫を残そうとメスを見つけてそこに子供がいたら容赦なく殺します。
確かに我々は「虚構」によって見知らぬ人と争わない仕組みを作ったんですね。
一方で「虚構」による副産物の一つが「富」であり、その富を必要以上に求める「欲」というものかもしれません。
この「欲」が争いを生むことになります。
「虚構」が争いを防ぎつつ、争いを生むというパラドックス。
「富」についてはハラリ氏が狩猟社会から農耕社会への転換となった「農業革命」が大きな影響を与えているという見解を示していますので、これはまた別途(^^)
自分の周りがたくさんの「虚構」によって作られていることを感じた上で、ではこれからどう自分の行動に反映させるのか、それはなかなか簡単なことではないし、皆が同じというような単純なものでもないです。
私自身は、「命にまさる虚構なし」という感覚に落ち着きました。
100億年と言われる地球の寿命から見ると、人生100年なんて地球の一生を100年としたらわずか30秒ほどにしかすぎないくらい一瞬。
シャボン玉ほどにしか過ぎない寿命だけど、虚構によって人生を押しつぶされるのは本末転倒なことだなと思うことによって、環境からのストレスを感じにくくなれるんじゃないか、と。
当たり前に思っていたことを一つでも「当たり前じゃないかも」と思うだけで視界が拡がるかもしれません(^^)
そんなことを言いながらFXという虚構で歯ぎしりしている小心者です(笑)