ちょっと間隔が短いですが、再び徒然シリーズ。
サピエンス全史の第2部の第7章で取り上げているのが「書記体系の発明」です。
どういうことか。
ざっくりと乱暴にいえば、「記録する」ことと「記録するための文字」を発明したことです。
スポーツはルールがあるからこそ、どんな人でも参加して見知らぬ人と協力してプレーすることが可能になります。
サッカーであれば、「相手のゴールにボールを入れれば1点」「決められた時間内に得点が多いチームが勝ち」「ボールを手で触ってはいけない」というルールがあるからこそ、足を上手に使って相手のゴールにボールをぶちこんで、勝ちを目指すことができます。
我々の社会であれば、法律があるから生活が成り立っています。
1つ、2つのスポーツのルールなら頭に覚えることは可能かもしれませんが、法律を全部頭にいれることはなかなかの至難の業(^^)
日本の国民1億人が六法全書を諳んじる(そらんじる)、しかも口頭伝達によって、ってそれは考えにくいですよね。
暗記嫌いな私はギブアップです(笑)
そこに、法律を「記録する」ための「文字」があれば頭にいれなくても見知らぬ人と情報を共有することが可能になります。
ハリーポッターの小説だって、文字で記録され本となったからこそ、全世界の人たちがその物語を楽しむことができたわけです。(4億部以上の出版だそうです)
文字がなければ、作者のJ・K・ローリングがすべてのストーリーの頭の中に収められていたとしても、彼女の家族と近所の人たちしか、あれだけのファンタジーを楽しむことができなかったでしょう。
ホモ・サピエンス・サピエンスの大きな発明の一つがこの「書記体系」です。
社会を育むにあたって、法律や商売の取引や税金やお祭りなどたくさんの情報が湯水の如く生まれてきて、その膨大な情報を記録することで発展してきました。
人間の脳に限界があるのは、ハラリ氏によるとその理由は以下の3つ。
- 脳の容量に限界がある。
- 人は死ぬ時に脳とともに死んでしまうため、1世紀以内に消去されてしまう。
- 人間の脳は特定の種類の情報だけを保存し処理するように適応してきた。
1と2はわかりやすいですが、3は面白いですね。
古代狩猟民族は、食べてもいいキノコと食べてはいけないキノコ、マンモスが出現しそうな場所、集団の意見などを記憶にとどめておく必要がありました。
確かに「選択的」挙動をしますね。
そこに先日お話した農業革命がきてから、大きな変化がでてきました。
「数」です。
狩猟民族は木の実の数を数えたり覚えたりする必要はなかった。
でも農業革命で定住が進み、社会が生まれヒエラルキーが発生し、その社会を維持するために、数理的なデータが不可欠となったわけです。
所得、財産、税金、罰金、負債・・・
これが情報量を一気に増加させたようです。
紀元前3500年から紀元前3000年の間にシュメール人の天才が、脳の外で情報を保存して処理するシステムを発明したらしい。
これが「書記」と呼ばれるものです。
人間はこの「書記」をツールとして大きく発展してきました。
そして今。
人が発明した「書記」システムによって描かれた設計図によってコンピューターが生まれ、そのコンピューターに「プログラム」と呼ばれる文字列が「書記」されることによって、AIが生まれ、今人間はそのAIに支配されようとしています。
インターネットを見ていれば、自分が以前検索した商品の広告がなぜかトップ画面に映し出され、Amazon PrimeやNetflixでは「おすすめ」の作品が並んでいて、ふとそれを選んでしまい、スーパーでは顧客移動データをベースに配列や商品構成が決定され、我々はそれを選ばされており、ポイントカードや非接触決済システム(電子マネーやコード決済など)からは位置情報がとられてそれが行動パターンとしてマーケティングデータとなり、新しいサービスとなって我々の生活に入り込んできています。
前回述べた、「農作物やペットに縛られている人間」という見方に触れましたが、同じように人間の発明したツールである「書記」システムによって、今度は人間が支配されつつあります。
AIに限らず、聖書や教本、コーランなどの「書物」によって多くの信者を作ってきた宗教も人が発明した「虚構」であり、我々の生活ではなくてはならないものと考えると、すでに支配されているのかもしれません(^^)
どうもホモ・サピエンス・サピエンスは自分で発明したツールに支配される方向に動いているのかもしれない・・・
今回もまとまりのない徒然でした(^^)