(画像:映画.com「アルゴ」より引用)
以前にもこのブログで映画「アルゴ」を観たことをご紹介しました。
たまたま先日ランニングシェアハウスで映画の話になり「この”アルゴ”っていう映画、なかなかいいよ」とハウスメイトに紹介したら、自分もまた観たくなってしまって(^^)
映画の解説については、画像を引用した「映画.com」で詳しく述べられているのでそちらもご参考までに。
最近アメリカとイランの関係が緊張感を増してきています。
かねてから、中東の情勢は欧米の横暴な行動によるものだ、と思っている私としては、「またアメリカが何かちょっかい出しているのではないか」という斜め目線でいつもニュースを観ています。
(ちなみにこれは全くの私見であり、根拠があっていっているわけではないことをお断りしておきます)
ニュースにはでるけど、イランってどんな国なんだろうと自問するとあまり良く知らないことに気づきます。
世界史の授業でペルシャは何度か舞台になっていたはずなのですが、ほとんど記憶していません(^^)
当時は興味をもてなかったんですよね。
国を知るにはまず歴史から。
Wikipediaを参考にしてみました。
- 紀元前3,000年こと原エラム時代が起源というのが現在の通説。
- 最初の王朝ハカーマニシュ朝が統治
- 以降いろいろな王朝が統治していきます
- 7世紀に入ってイスラーム化が始まります
- 1616年サファヴィー朝アッバース1世がイギリス東インド会社と貿易協定を結んだのが現在のヨーロッパ諸国との関連の始まりのようです。
- 1796年 ガジャール朝になってイギリスがイラン領に食指を伸ばします
- 1800年 第一次ロシア・ペルシャ戦争でロシア勝利。
- 1814年 フランスも近づいてきたことに危機を覚えたイギリスがイギリス・イラン防衛同盟協定を結ぶ
- 1826年 第二次ロシア・ペルシャ戦争ではイギリスの応援なく敗北
- 1841年 イランはイギリスを最恵国待遇とする
- 1856年 アフガンに進出するも失敗し、イギリスの開戦口実を与え敗北
- 1905年 イラン立憲革命起こるも頓挫
- 1921年 レザーハーン大佐が革命
- 1925年 レザーハーン大佐がパフラヴィー皇帝としてパフラヴィー朝を起こす(パフラヴィーは以前日本では”パーレビ”と言われていて、後にイラン革命で追われるパーレビ国王はこのレザーハーンの息子モハンマド・レザー・パフラヴィーのこと)
- パフラヴィー皇帝はこの後、反共、脱イスラム統治、民族主義、独裁をすすめる
- 1939年 第二次世界大戦で連合国からの要望を拒否しドイツ寄りに傾く
- 1941年 イギリス・ソ連により分割される。この時アメリカに仲介を求めるが拒否されている。
- この年 パフラヴィー皇帝は息子モハンマド・レザー・パフラヴィーに皇位を移譲する
- 1951年 モサッデクが首相就任。イギリス系石油会社を国有化
- 1953年 イギリス、アメリカCIAの支援をうけクーデターが起こり、モサッデク追放。モハンマド・レザー・パフラヴィーが返り咲き
- 1979年 イラン・イスラーム革命によりモハンマド・レザー・パフラヴィーはアメリカへ亡命
モハンマド・レザー・パフラヴィーへの怒りが収まらないイラン国民が、パフラヴィーの返還を要求するデモを発端にアメリカ大使館を占拠したのが、アメリカ大使館占拠事件で、この「アルゴ」の舞台になった事件です。
ではモハンマド・レザー・パフラヴィーがどうしてこれほどイラン国民の怒りを買ったのか、またWikipediaで勉強してみよう(^^)
<外交面>
<内政>
- 近代化を図り、農地改革、女性の参政権確立、教育振興、国営企業の民営化、労使間の利益分配を図った。
- しかし基盤が脆弱だったため、政策がうまく機能せず、一部のものしか富がまわらず、貧富の差の拡大を生んだ。
<世俗化>
- 女性解放をかかげてヒジャブの着用を禁止したり、邪教といわれていたバハーイー教徒にも参政権を与えるなど、イスラム教にとらわれない政策を推進。
- しかしこれらはホメイニらイスラム教関係者から大きな反発をうける。
<国威掲揚>
- 宗教ではなく民族意識を高めるべく、建国2500年祭を執り行う。
- しかし総額2億ドルもかけたことから各方面より国費の浪費と避難される。
- これだけでなく国王の浪費ぶりは都度都度非難の対象となる。
一番大きかったのはホメイニ師らイスラム教法学者たちの怒りを買ったことかもしれません。
なんせ、イスラム教は原理に行けば行くほど、イスラム教以外は認めないという方向にあるわけで、イスラム教以外の世界との関係はとてもセンシティブなものだということです。
最初はエジプトに亡命したモハンマド・レザー・パフラヴィーですが、各国を転々として”がん治療”を理由にアメリカに保護されます。
これにホメイニ師らは怒りを爆発させ、大使館を占拠し実に444日に及びました。
Wikipediaによるとホメイニ師がイラクに亡命中、1978年(大使館占拠の前の年)に長男を事故で失っているのですが、モハンマド・レザー・パフラヴィー配下の秘密警察による暗殺とも言われているそうです。
真実がどうであれ、その後アメリカを出国したモハンマド・レザー・パフラヴィーの亡命を受けたエジプトとの国交を断絶するくらいですから、ホメイニ師そのものがモハンマド・レザー・パフラヴィーに対して、相当の怒りを持っていたことが想定されます。
アメリカがイランに関わる(過去に関わった)理由は以下だろうと思われます。
いろいろな思惑、パワーバランス、貧富、欲求などが絡み合い複雑な状況になっているだろうことは想定されます。
映画ではいろいろな人達の表情が実によく表現されています。
イランの人たちの怒りの表情はみていて悲しささえ感じてしまいます。
笑顔で交易ができる日がくることを願ってやみません。。。