48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

母と夕食後に何気なくテレビを観ていたら、NHKで「逆転人生」という番組 がやってました。

 

副題は「どん底からはい上がった人々の、真実の物語」。

 

お笑い芸人の山ちゃんこと山里亮太と、杉浦友紀アナウンサーがMCをつとめ、その日のゲストの信じられないような人生劇を紹介するというもの。

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(画像:NHKホームページより引用)

 

この日は将棋の駒師「寉峯(かくほう)」こと遠藤正巳さんがゲストでした。

 

駒師とは将棋の駒をつくる職人さんのこと。

 

将棋の駒の形に仕上げられた木に彫刻刀で文字を彫り、そこへ漆で文字を書き入れていくという仕事です。

 

高いもので1セット百万円を超えるものもあるとか。

 

細かい作業に加えて、粘度の高い漆で文字を書き入れ、さらに盛り上がった仕上げにするのはとても高い技術のいる作業のようです。

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(画像:中山碁盤店「将棋駒 竹風作 盛上 御蔵島産黄楊 虎斑 菱湖書」より引用。なおこの駒は715,000円と表示されていました)

 

番組の内容はNHKのオンデマンドや見逃し配信(NHK受信料を払っていると、NHKプラスというアプリでスマホやパソコンを使って見ることができます。)でご覧いただけますが、概要は実は1年前にラジオで放送されていたようです。

 

www.tbsradio.jp

 

TBSラジオ久米明がインタビューをしています。

 

さっと目を通しましたが、NHKの番組とほぼ内容かぶります(笑)

 

 

 

 

前置きが長くなりましたが、この方のなにがすごいか、って

 

59歳から今の仕事を始めた

 

ことです。

 

それまで居酒屋、数々のアルバイトなど20以上の仕事をしてきたのですが、趣味も含めて将棋とは一切関わりがなかった遠藤さん。

 

たまたま近くで将棋の駒の展覧会があってそこで偶然声をかけてくれたのが、一流駒師の一人大澤富月氏

 

母の介護のため在宅で月に10万円稼げる仕事を、と思っていたところに、1セット10万円で売れることもある将棋の駒を作る駒師という仕事は魅力的に映ったそうです。

 

でも駒師は職人の世界。

 

1人前になるまで10年かかるといわれているらしいのですが、遠藤さん、なんと2ヶ月でかなりのレベルに到達しちゃったらしいです。(^^)

 

師匠大澤氏によると「才能あったんだねぇ」だそうです。

 

釣り道具を自分でイチから作ってしまうくらい器用さをもっていた遠藤さんの天賦の才はさることながら、この方、この道に入って毎日夜8時から2時までずっと作り続けていたそうです。

 

それまでの辛い時間から解放されるという現実逃避の部分もあったようなのですが、毎日6時間集中して作業をしたことも、遠藤さんの才能をより開かせた理由の一つだった気がします。

 

どの世界でも「天才」と言われる人たちがたくさんいます。

 

でも本当に「天才」としてその道のトップを歩む人はごく僅か。

 

天賦の才、すなわち”天才”(ちょっとこじつけか(笑))を活かすのは、才能を磨くトレーニング。

 

 

 

遅咲きの桜であった遠藤さんは59歳にしてその門を叩き、あっという間に一流の仲間入りしてしまったことに脚光があたっていますが、実は理由はともあれ、

 

毎日1日6時間も一心不乱に技術を磨くべくトレーニングを重ねてきた

 

行動力、そして”トレーニングを重ねる意思の強さ”も特筆できる一つなのでは、と感じます。

 

6時間ぶっ続けってすごいですよね。。。

 

私は毎週船堀の清掃をする時はほぼ6時間ぶっ続けですが、毎日は無理!(笑)

 

今月にはいって「1日3時間以上」を目標にしている英語も、半分にしか過ぎないその目標でさえまだ実現したことがない。。。

 

当時の遠藤さんは必死だったとおっしゃっていました。

 

最愛の奥様を亡くしてからというものの、定職がない状態、実母の介護で昼間動けない、そんな状況で明日の希望を感じることができない毎日をおくってらっしゃったようです。

 

奥様が亡くなられてから駒師に弟子入りするまで、本人曰く”どん底”だった時期は15年にも及んだそうです。

 

今ちょっとうまくいかない、とか

 

今週は調子悪いな、とか

 

最近イマイチなんだよな、とか

 

全然時間軸が違います。

 

私は事業始めてもうすぐ丸6年になりますが、まだまだ全然・・・

 

南アフリカ共和国の初の黒人大統領になったネルソン・マンデラ氏は27年投獄された後に大統領になっていますが、15年ってまぁそれに匹敵するといってもいいんじゃないか、っていうくらいの時間間隔です。

 

遠藤さんは「生きること」を諦めなかったんじゃないかなぁ、というのが私の勝手な想像。

 

最愛の奥さんが急死され、「無念だったろう」という思いが強かったからこそ、後を追いかけるのではなく生きることにこだわったのではないかなぁ、とこれも勝手な想像。

 

実の母親を介護していて、自分が死んだらどうなるんだ、という思いがあったのかもしれない、というこれまた勝手な想像。

 

ご本人にしかわからない心境ですが、生きようといつも足を前に出し続けてきたからこその、今の遠藤さんなんでしょうね。

 

 

 

まだまだ自分は赤子と自覚するに至りました(^^)