5月からオンラインに切り替えて運営されている「英語耳をひらこう」セミナー。
それまで受講生として参加させていただいておりましたが、集金や会計処理、当日の資料の配信やファシリテートを担当するようになってから、原澤講師、岸講師と一緒に運営側に回って参加させていただいています。
オンラインで3人の協力が必要なため、かならず3人で2日ほど前に事前会議を行っています。
コンテンツの内容、進め方、段取り。
この事前打ち合わせ、やるたびに議論する内容が生まれ、本番の1時間半を超えることもしばしば(^^)
お二人の講師の熱意と愛情に頭が下がります。
そのためやるたびに進め方や、コンテンツに変化があり、いまだに固定されません(笑)
私は当日受講生として参加することはかないませんが、実はこの事前打ち合わせでものすごく勉強させていただいています。
- なぜ題材として選んだのか
- なぜ例文として選ばれているのか
- 理屈はなんなのか
- 理屈でないイメージはなんなのか
- こんな表現はいいのか悪いのか
などなど、高い次元で二人の講師がバンバン議論を交わしているので、それについていくのも必死ですがたくさんの視点や表現方法にふれることで、今の私のレベルでも感じるポイントが少なからずあり、そこをきっかけに理解を深めていく感じです。
さて、今回私が勉強になったのは「come と go」。
私の理解がちゃんと正しいかどうか不安はありますが、ちょっとここで振返り兼ねてまとめてみます(^^)
学校では「comeは来る」「goは行く」と教わりました。
が、これは全くの間違い(^^)
comeは「近づく」、goは「離れる」が本来持っている意味。
日本語の「行く」「来る」とは使い方がまず違うので、「comeは来る」「goは行く」は頭から捨て去る必要があります(^^)
こちらがcomeのイメージ。
こちらがgoのイメージ。
英語耳で取り上げられた例文を使ってこの違いを比べてみます。
田舎のお母さんと電話で話をしています状況を例にとります。
「この夏は帰ってくるのかい?」とお母さんが聞いてきました。
これは「お母さんのところ」がこの話題の軸になっているので、日本語でいうところの「帰る」は「(話の軸になっている)お母さんのところに近づく」ので、comeをつかいます。
お母さんと話している私も”I am coming home this summer.” とcomeを使って返事します。
次に友達と2人で話ししている状況です。
友達から「お母さんのいる実家へこの夏は帰るのかい?」と訊かれました。
このときは、友達と自分は実家にはいません。
この「帰る」の意味は「(今自分たちがいるところから)離れていく」のでgoを使うんですね。
今度は友達から食事の誘いが来た時を想定します。
その友達たちはまだレストランにはいません。
なので友達は「今夜食事にいくよ」では、自分たちから離れてレストランに行くので ”We are going out for dinner tonight.”とgoを使って表現しています。
自分は一緒に行きたいとしましょう(^^)
その時「一緒に行ってもいい?」と訊く時は”Can I come?”とcomeを使うのが一般的。
え〜、自分も友達も離れたところへ向かうからgoじゃないの?
ところがここで言っている”Can I come?”はちょっと意味合いが違っていて、どちらかというと「あなた達に合流していい?」という意味なんですよね。
だから「友達たちに近づく」ことを意味するのでcomeを使うんです。
”Can I go?”というと、「(あなた達とは別に)どっかに行っていい?」すなわち、「君たちとは一緒にいかないよ」と全く逆の意味になっちゃいます(^^)
でもgoを使って「一緒に行く」という表現もあります。
それが ”Can I go with you?”です。
これは「あなた達と一緒に(レストランへ)行ってもいいですか?」ということなんです。
さっきcomeを使ったときは「合流する」ところが主でしたが、今度の文章は”with you”で「一緒に」を表現し”go”で「(今お互いがいるところから離れて)レストランへ行く」ことも主張しています。
goもcomeも軸となるところに会話に参加している人(自分でも相手でも)の存在があって、その人に「近づく」のであればcomeだし、「その人にとって遠ざかる」のであればgoという感覚なんですね。
言葉は文化に基づいて意味が付随しているので、文化が異なれば意味自体も異なるし、定義される範囲も変わってきて不思議はありません。
原澤講師も岸講師も、「日本語に訳す」という表現は使わず「こんな意味です」と伝えてくれます。
日本語であえて表現するならこんな感じかな、みたいな(^^)
お二人の講師のおかげで、やっと「訳す」ということから脱却して、イメージをつかもうという捉え方を意識するようになりました。
これも「英語から情景をイメージする」一歩ですね。