藤井聡太二冠が史上最年少でタイトルを獲得したことで、NHKが特集番組を放映していました。
(画像:NHKプラスより引用)
「史上最年少タイトル獲得」が特番のきっかけでそこに注目した編成だったのですが、その後は既報の通り、2つ目のタイトルもとってしまい、最年少二冠、最年少八段昇段、というとてつもない記録を放映前にうちたててしまい、慌てて終わりにその内容を押し込んだみたいな内容でした(^^)
スタッフの方々も大変だっとお察しします。
前年のNHK杯優勝者深浦九段、藤井二冠の師匠である杉本八段がゲストに招かれ、棋界のトップ棋士たちのインタビューを織り込んで番組は編成されています。
藤井二冠が小学生で将棋大会にでていたころのビデオなども紹介され、将棋好きな人にとってはもちろんですが、将棋にそんなに明るくない人でも楽しめるのではないか、という番組でした。
興味深かったのは、藤井二冠の「強さの背景」について。
番組では
- 正確無比の終盤力
- 常識を覆す読みの力
- 一心不乱の集中力
- 逆転を生む構想力
と師匠の杉本八段が解説をする形で紹介されていました。
師匠は特に「集中力」を取り上げていました。
対局していて相手が考えているときでも、ずっといろいろな展開や形勢判断をするために対局に集中しているようで、長い対局時間でその集中が続くのは驚異的だそうです。
あまりにも集中しすぎて制限時間超えで負けてしまったこともあるらしい(^^)
私は藤井二冠の「とてもつもない負けず嫌い」が印象的でした。
小学生の時にある大会の決勝戦で公開対局となり、お客さんがいる前で対局したビデオが紹介されていました。
(画像:NHKプラスより引用)
対局前はこんな笑顔でインタビューに答えていた藤井少年(^^)
(初々しい〜〜!)
当時から強かった藤井少年ですが、痛恨のミスで逆転負けをしてしまい、終局後の意気消沈ぶりがすごかったようです。
(画像:NHKプラスより引用)
画面右側でうなだれているのが藤井少年。
背中を丸めてずっと下をむいて泣いています。
(画像:NHKプラスより引用)
表彰式でもこの通り泣きうなだれています(^^)
かわいいなぁ。。。(^^)
これはプロになっても変わらないようで、深浦九段との対局でやはり痛恨のミスをして負けてしまったらしいのですが、ミスに気づいたときの藤井さんがこれ。
(画像:NHKプラスより引用)
肘を置くための脇息(きょうそく)というのですが、その脇息にがっくりうなだれています。
ゲストで登場して深浦九段はこのときのことを覚えているようで、(将棋界の人たちはほとんどの人がすごい記憶力を持っています)
「終局後もあまりにも落ち込んで話しかけることができなかった」
と言っていました。(^^)
通常は終局後に「感想戦」といって、お互いにあのときはこっちのほうがよかったか、とかこれが悪かったかと意見交換をする時間があります。
この感想戦が棋士にとって大事な学びの時間らしく、長いときは数時間にも及ぶことがあるそうです。
しかしこのときはそれどころじゃなかったらしい(^^)
メディアに登場する藤井二冠は朴訥としておだやかな印象を与えていますが、内にこんなにも激しい負けず嫌いなエネルギーを持っているんだなぁ、と印象深かったのです。
ある世界でトップを目指すには、「負けず嫌い」という性格はとても武器になると聞きます。
「負けたくない」という気持ちが自分を駆り立てて技術をあげていく大きな原動力となるからです。
それはきっとものすごいエネルギーを生む源でしょう。
藤井二冠のそんなすごいエネルギー源が今は将棋に向かっているからいいものの、もしこれが全然違う方向にむかっていたらどうなっていただろう。
一昔でいえば、有り余ったエネルギーを発散できずに暴走族になったり、グレたりしていた人もたくさんいたわけで。
先日読んだ「フューチャーネーション」の読書会では、「国家同士の戦いを”戦争”ではなく”スポーツ”に転換することで、エネルギーの発散ができるんじゃないか」みたいな意見もでていたように、ちょっと間違えれば、争いごとにむけられてしまう恐れがあります。
喧嘩が強くて番長張ってた人が、とあるきっかけでボクシングの道に入り、尊敬されるスポーツ選手になっていった、なんて話もありそうですしね。
地球の内側ではものすごいエネルギーを持っているマントルが渦巻いていて、その本の一部がマグマとなって地表に現れ、そのエネルギーの大きさを実感することができます。
人も内側にマントルのようなエネルギー源を持っていて、その一部が”競う”ということでマグマのように表に出てきているのかもしれません。
そして「何を」”競う”のかで、その影響、評価は180度変わりうるんでしょう。
私は受験戦争を経験し、野球に興じ、ビジネスの世界に飛び込み、常に競う環境にいたし、自ら選んでいた面もあります。
それによって自分自身が鍛えられてきたこと、得られたことは、同時に失ったことも含めてたくさんありました。
そして今はどちらかというと”競い方”を変えているんだな、と。
これまでは「他人」すなわち「自分以外の人」が”競う”対象であったのですが、今その対象が「自分」になっています。
今日の自分、昨日自分、1年前の自分など・・・
大きな変化は望めなくとも、継続的な(サステイナブル)歩みはできると思います。
自分を磨いて新しい自分を目指すことは、生きることそのものかもしれません。
そのために”競う”ということはとても大切なプロセスだと思います。
願わくばその”競う”ことが、人を傷つける”争う”ことと混同されないでほしいです。