48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

読後感想〜「武器としての『資本論』」

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最近読書量が増えてきているところに、父から「今この本を読んでいたんだが読んでみるか?」と渡されたのがこの本。

 

まぁ、父は安保闘争時代の人間で当時の岸内閣打倒を声高に叫んでいたらしいので、この手の本を手にするのもわかる気がします(^^)

 

資本論といえばマルクスマルクスといえば社会主義共産主義

 

特に共産主義については、旧ソ連及び東ヨーロッパ諸国の東西冷戦時代の印象、そしてその崩壊、北朝鮮や中国についてのあまりよくない印象がどうしてもすりこまれていて、朱に交われば赤くなるどころかまっかっかになるタイプの私は、ちょっと距離をおいているところが正直あります。

 

一方で、19世紀に公開された考え方や思想が未だに多くの人達の支持をうけていることや、未だにその代表的作品「資本論」が出版され続けていることは、その思想そのものや考え方を「知らない」というのはどうかな、という気持ちもあります。

 

ただこれがとにかく難しい(^^;;

 

まんがで読破シリーズで「資本論」「続・資本論」を持っていますが、それでも今ひとつピンとこないものがありました。

 

 

 

著者は「資本論」の偉大さがストレートに伝わる本を書きたい、という意図で書いたと「はじめに」で説明しています。

 

従来の「資本論」の解説の方法とは一線を画し、資本論を順に解説するのではなく、要所要所をつまみながら全体のイメージをもってもらおうというアプローチをしていて、解説書としてはユニークなアプローチをしているな、と感じました。

 

実際290ページあるうちの半分にあたる144ページくらいまでは、「資本論」で語っていることはこういうことだよ、という入門書的なガイドをしてくれています。

 

ここはとても勉強になりました。

 

まさに、「資本論」はこういうことを語っているのか、というガイドをわかりやすくしてくれていて、私のような無学なものでもついていけそうな気になります(^^)

 

しかし、本文最後には「『資本論』といいながらだいぶ遠いところまで来てしまった気がします」とあるように、後半はだいぶ「資本論」の解説から脱線し、著者の現体制に対する批判に終始してしまっている印象をうけました。

 

現在の資本主義に対する比較をして「資本論」の内容を理解してもらおうという意図だったのかもしれませんが、だんだん熱を帯びてきて、痛烈な資本主義批判を展開するようになります。

 

議論を通じて新しい一歩を踏んでいく上で、批判は重要な要素です。

 

ただYesだけでなく、「自分はNo。なぜならば・・・」という展開を通じて、Yesの側の人たちがカバーできていなかったことが発見されると、また深くあるは広い議論になり、集まった人たちの知恵がまた膨らんでいきます。

 

なので、批判はいいのですが、この著者の場合は「提案」がない。

 

資本主義の批判に終始し、旧ソ連や東ヨーロッパ諸国がなぜ崩壊したのか、という社会主義共産主義側からの自己反省、自己分析といった要素がまったくありません。

 

なので、私は読んでいてあまり気持ちのいいものではありませんでした。

 

 

 

私自身も現在の資本主義による問題意識、懸念はありますし、資本主義ばんざ〜いと叫ぶつもりもありません。

 

かといって、共産主義バンザイという気もしません。

 

私の稚拙な理解は、

  • 小さな政府(資本主義)と大きな政府社会主義共産主義)という軸がある
  • すわなち生きる上で「自分の力」と「社会からの支え」の比重のバランス的なところがある
  • 両極端にいくとそれぞれの弊害面が大きくクローズアップされたり歪められたりする。(旧ソ連社会主義がまさにそれ)
  • 両方の要素をもちつつどちらの比重を大きめにするかと議論が現実的
  • 市場経済を導入した中国、旧ソ連市場経済の中にあって社会主義要素を強めている北欧諸国、スイス、保険制度、国営企業の存在など独自の社会主義的な要素を取り込んできた日本など)

 

というところです。

 

勉強不足なのでご批判をたくさん頂戴しそうですが、現実こんなレベルなので仕方がない(笑)

 

今価値観の多様性が受け入れられる方向にむかっており、「誰にとっての幸せか」という定義自体が難しくなっているかもしれません。

 

以前は「最大多数の幸福をめざす」といわゆる多数派優先の風潮がありましたが、今は少数派、マイノリティーと言われる存在を無視するな、という流れですよね。

 

格差の問題にしても、以前の多数派優先なら「格差が広がって貧しい側の人達がこんなにたくさんいるんだから」という筋を通すことはできました。

 

でも、今は「格差が広がって富んでいる少数派の人たちの声も聞かなくていいのか」という展開になってもいいはずなんです。

 

ロヒンギャと言われる人たちは約180万人くらいいるそうで、難民でメディアに取り上げられているミャンマーロヒンギャは80万人。

 

一方資産100万ドル(ざっくり1億円)以上の人はアメリカだけでも1840万人、中国で440万人いるという記事もあります。

世界の富裕層の上位10%、中国が1億人で最多…初めてアメリカを上回る | Business Insider Japan

 

もちろん扱っている問題が、難民と資産では土俵が違う、という声もあります。

 

極端な事例ですが、そういう複雑なことが世界中でたくさんあるわけで、単純に「資本主義だ」とか「社会主義共産主義だ」という議論自体が乱暴な気がするということです。

 

むしろ自分とは真反対の人たちでも受け入れていくくらいの姿勢が求められてくるわけで、自分と異なる種を攻撃することを容認するような考え方には抵抗を感じます。

 

 

 

なお本書「はじめに」で、著者が満員電車にも関わらず本を読んでいる人がいて不愉快な気分になったのだが、その人が「資本論」を読んでいたことに気づき、その人に好感すら感じた、というくだりがあります。

 

自分と同じ思想なら受け入れるけど、そうでなければ受け入れない、という姿勢なんだな、と私は感じました。