48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

首都圏高速道路で浦島太郎

いや〜、今日はへばった。。。

 

こんな1日がありました(^^)

 

あるシェアハウスがクローズするということで、そこで使われていた二段ベッドと電化製品を譲りいただけることになったので、今度の新しい物件に運び出す作業です。

 

都内と東戸塚を軽トラで3往復(笑)

 

いや〜、朝9時から夜6時までなかなかしんどかった・・・

 

運び出したのは以下の物品

  • 二段ベッド:6セット
  • 大型冷蔵庫(350Lくらい):1台
  • 中型冷蔵庫(200Lくらい):1台
  • 洗濯機(4.5kgサイズ):1台
  • 電子レンジ:2台
  • 炊飯器:1台
  • 衣装ケース3段:8セット

 

運んだなぁ〜。

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現場はまだ改装工事の最中。

 

そんな中工事がある程度終わっている2階へ詰め込む。

 

都内から東戸塚までは

を使って移動をしたのですが、しばらく高速に乗っていなかったので、今更の発見がいくつか。。。(笑)

 

■横浜北線K7

 

首都高横浜線の生麦に差し掛かると看板に「K7港北」の文字が。

 

は〜?とその行方に目を向けるとなんと高速道路が伸びているではないですか!

 

調べてみると「横浜北線」といって生麦から第三京浜の港北までをつないでいるそうな。

 

そしてそこからさらに東名高速道路の横浜青葉まで「横浜北西線」として伸びている。

 

「横浜北線」は2017年3月、「横浜北西線」は2020年3月に開通したそうです。

 

私が横浜に住んでいたのは実質2000年末までなので、そりゃ知らないな。

 

■渋滞しない首都高

私が自家用車を所有して都内を走っていたのは1987年から2001年まで。

 

その後はレンタカーで時々運転しています。

 

私の首都高のイメージはとにかく渋滞!

 

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これは私が新入社員だったころの1990年の首都高です。

首都高の歴史|首都高を知る・楽しむ|首都高ドライバーズサイトから引用)

 

東京外環道は1992年、東京アクアラインは1997年、圏央道で海老名JCTができたのが2010年ですので、東名、関越、東北、常磐、京葉の各高速道路へ行くにはとにかく都心を抜けないと移動できなかったんです。

 

なので慢性的に渋滞で昼間の平日なんて絶対動かない。。。

 

土日も各高速道路から首都高に入る入口では20〜30kmの渋滞は当たり前でした。

 

その後整備が進み今の首都圏の高速道路はこうなっています。

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首都高の歴史|首都高を知る・楽しむ|首都高ドライバーズサイトから引用)

 

都心に入らなくても環状道路(特にC2)ができあがったことでショートカットが可能になったことが交通緩和につながったと考えられます。

 

びっくりするくらい使った高速道路がどれも渋滞なし。

 

平日の昼間にこれはびっくりでした。

 

いつの間にかかなり高速道路網が整備されていたんですね。

 

■新しいインターチェンジ(IC)

 

横浜新道の今井ICは初めて耳にする名前でしたが2001年に作られたそうですね。

 

第三京浜で羽沢ICを目にしましたが、見た記憶がありませんでした。

 

調べてみると入口は1988年からあったようですが、出口が使われるようになったのは2011年からとのこと。

 

だから見なかったんですね。

 

いや〜、首都圏高速道路で新しい発見がたくさん。。。

 

というより、利用している皆さんからすると当たり前のことばかりなんでしょうね(笑)

 

さしずめ、私は浦島太郎、か。。。