「いいか!負けんじゃねーぞ!お前がどんな犯罪を犯したって俺は最後までお前の味方だからな!」
冷え込んだ銀座の交差点で大声を張り上げていたのは私の父でした。
元妻との関係が破綻し一度離婚することで合意していたところ、元妻が翻意し一転離婚しないといい出した。
元妻には感情が戻らないどころか一緒の空間にいるだけで胸が詰まるほどしんどく、当時は気持ちが追い込まれていたので、「何をいまさら・・・」と愕然。
その前にあった元妻の父親との話し合いでは猛烈な非難と罵声を受け、元妻の家族との修復はほぼ不可能なところまで感情がこじれていた。
なおさら「何をいまさら・・・」
幼稚園に通う子供が2人。
こんな小さいときに両親離婚なんていいのか・・・
孫を可愛がる両親から孫を奪ってしまうことにもなる・・・
いろいろな感情が自分にからみあってもがき苦しむ日々。
でもこれ以上は無理、となんとか顔をあげて両親に気持ちを打ち明けました。
「こういうことは法律の話だからプロに相談しよう」と父からアドバイスされた。
母の学生時代の同級生が弁護士事務所を開いて所長をしている、という。
連絡をとってもらって弁護士事務所に3人でお邪魔した。
私は本人、母は最初の顔通し、父はほぼ見学、という名目。
その時の私の状況を聞いた所長は「1日も早く別居することですね。ただし時間はそれなりにかかりますよ。」という。
事務所を出て両親と近くのカフェに入った。
早く離婚したいと思う一方、具体的に別居という行動に出て長い時間争いを続けていくことが具体的にイメージできず、途方に暮れかなり落ち込んでいた。
両親は私のグダグダした話を一通り聞いて「おまえが思うように行動しなさい」と言ってくれた。
「さ、行こうか」とカフェを重い雰囲気ででた。
銀座の交差点で「じゃ、気をつけて。今日はありがとう」と別れ、両親が信号が青になった交差点を渡っていくところを見送っていた。
その時だった。
交差点を半ば渡ったところで、父が突然振り向いて
「いいか!負けんじゃねーぞ!お前がどんな犯罪を犯したって俺は最後までお前の味方だからな!」
と私に向かってものすごい声を張り上げたのは。
母はじっとこちらを見ている。
一瞬びっくりしたが、その後は目の前の視界がぐにゃぐにゃに崩れてしまって両親が交差点をどう渡ったのかは見えていない。
「ありがとう」と手を振りながらなけなしの声を出すのが精一杯だった。
普段から大声を出さない父。
公衆の面前なんて気にせずに私に強烈なメッセージを送ってくれた父。
それを黙って見守る母。
そのときにおそらく生まれてはじめて「両親に愛されているってこういうことか」と気づいた。
同時に自分の子供達にそのような愛情を注げない自分の不甲斐なさに襲われる。
自分の未熟さにやっと気づき始め、両親の存在感が全く変わるきっかけとなったのがこの日。
一生十字架を背負うような覚悟がもてたのも、あのときの父の姿があったからこそ。
今でも当時を思い出すと胸が痛くなります。。。
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」