ハイキングの後に立ち寄った極楽湯で汗を流して待合所に腰をおろして、ふとテレビに映っていた光景がこの岡本選手が肩車されているところでした。
もういろいろなメディアで取り上げられているのでこの光景はすっかり有名になりましたね。
岡本選手は世界ランキング1位の実力者。
でもそれまでの2回の試技では思うようにいかず点数が伸びませんでした。
最後の3回目の試技。
さすが世界ランキング1位と思わせるような圧巻のパフォーマンスを出していましたが、最後の最後にしかけた大技で転んでしまい、万事休す。
その瞬間、岡本選手は子供のように(といってもまだ15歳^^)泣きじゃくり、頭をかかえます。
見ている我々も「あ〜、残念・・・」そんな気持ちになっていました。
岡本選手がボードをもって引き上げます。
そして上にあがってきたところで、他の競技者たちがかけよりみんなでハグをし始めたんです。
そして身体の大きい選手たちが岡本選手をかつぎあげたのがその有名なシーンです。
一瞬何がおこったのかわからず混乱したのですが、すぐに感動の気持ちがこみあげてきました。
メダルを逃した、いわゆる勝負の世界では敗者となったプレーヤー。
でも、最後まで最高のパフォーマンスに挑戦をしたことを称える競技者たち。
かつて私も野球をやっていて勝負の世界を経験してきましたが、このような気持ちにはとてもなれなかったです。
「勝つ」ことを目指すので精一杯で、自分のプレーを楽しみ、相手のプレーを称える心の余裕はまったくといっていいほどなかったです。
自分のちっぽけさが恥ずかしく感じる一方、この人達はすごいプレーヤーたちだな、と心からリスペクトしました。
スポーツはルールという制約の中で勝負をするゲーム。
したがってほぼ必ず「勝者」と「敗者」が存在します。
「勝者」になるために、多くのアスリートが多大な犠牲を払って自分を追い込み続ける毎日を送ってきますので、「勝つこと」にこだわりをもち、モチベーションの源泉となることは疑いようもありません。
なので神経はすり減るだろうし、勝つことにものすごく集中せざるをえないでしょう。
それでもトップアスリートたちは、どこかで相手をリスペクトし称える気持ちを持っている人が少なくありません。
インタビューでもそれを垣間見ることはできます。
しかし、この岡本選手のときのように、オープンに直接的に表現されることはあまりみません(^^)
一昨年のラグビーワールドカップでは試合終了と同時に「ノーサイド」、すなわち敵味方はない、という精神が注目されました。
今回からスケートボードと同じく新しく導入されたボルダリングで、競技者たちで攻略方法を一緒に相談するというシーンがありました。
陸上男子800メートル予選では、アメリカの選手が転倒してボツワナの選手もその影響で転倒してしまったのですが、あおりを食ったほうのボツワナ選手がアメリカの選手をつれて一緒にゴールをする、というシーンがありました。
ボツワナの選手はもちろん予選通過できないタイムでしたが、競技委員のはからいで、「オリンピック精神にのっとる行動を讃える」として、特例で決勝にでれることになったようですね。
スポーツは勝者目指すゲームなので、勝ち負けはもちろん関心がありますが、高いパフォーマンスを目指し、そういう人たちをリスペクトし称えるという関係もスポーツの醍醐味だと感じます。
お互いを称え合うシーンがもっともっと表にでてくるといいな、と思う一方、伝える役割をもっている報道も、勝ち負けではなく、スポーツ選手をリスペクトする、称えるという取材やインタビューがあってほしいと思います。