48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

サピエンス全史からの徒然(5)〜統一へむかっている

ずるずると続いている「徒然」シリーズ(^^)

 

サピエンス全史は上巻、下巻と2冊刊行されていますが、上巻の3つある章の最後の章が「人間の統一」。

 

統一?

 

世界196カ国もあり、日本は47都道府県1,718市町村に行政区分が別れていて、イラククウェートに、旧ソ連アフガニスタンに、現ロシアがウクライナに侵攻すれば、世界中から非難の声があがり、会社にいけばダイバーシティー(多様性)の研修で「それぞれの価値観を大切にしよう」と刷り込まれ、オリンピックでは毎回新しい競技が生まれてくるし、親子三世代同居が当たり前だったのが今や核家族という言葉さえも古くなり一人暮らしのほうが多いんではないかと思われるくらい生活単位も細分化され、いろいろむしろバラバラになっていってるのではないかとさえ感じさせられます。

 

しかし、ハラリ氏はちょっと違った視点を与えてくれます。

 

キーワードの一つが「グローバル化」。

 

海外に旅行なんて金持ちしかできないことだったので旅行といえば国内ばかりだったし、出張にでかければ携帯もメールもない時代は会社・上司の監視の目から逃れられ羽を伸ばして昼間っからビール飲んだり、転向や転勤があるとお互いの様子は手紙でやり取りをしそのたびに年賀状の枚数が増えていったのは、今からわずか40年くらい前の話ですね。

 

でもハラリに言わせれば、グローバル化の動きはもっともっと大昔からあったということです。

 

ちょっとまって。

 

キリスト教のようにイエス・キリストとその弟子が開祖となってはいるものの、そのうちどんどん分派ができて、今は無数の宗派があります。

 

ヨーロッパの主言語であったラテン語も地域ごとに方言となってイタリア語、フランス語、スペイン語など今の各国語に分裂しています。

 

ローマ帝国、モンゴルの元、オスマン・トルコのような大帝国が世界征服に近い領土をもった時期があるけど、いずれも滅ぼされて分裂しています。

 

今なら旧ソ連や旧ユーゴスラビアなどがいい例です。

 

 

 

どういうことでしょう。

 

ハラリ氏は「そんな鳥瞰(ちょうかん)的な視野はせますぎる。鳥の視点のかわりに宇宙を飛ぶスパイ衛星の視点を採用したほうがいい」と言っています(^^)

 

すると、歴史は「統一にむかって執拗に進み続けている」ことは明白だ、と言います。

 

何が統一化に推し進めているのか。

 

ハラリ氏は「普遍的秩序」という概念をあげています。

 

「普遍的」とは誰もが「普通」と考えるような性質。

 

「秩序」は「ルール」であり「しきたり」であります。

 

つまり、「普通とおもわれるしきたり」。

 

ハラリ氏があげる「普遍的秩序」は大きく3つ。

第一に経済的なもので「貨幣」

第二に政治的なもので「帝国」

第三に宗教的なもので「宗教」

 

貨幣

物々交換より、もっと手軽に持ち歩けるものを仲介させることで取引をより活発にさせた功労者が「貨幣」です。

 

タカラガイの貝殻は4000年にも渡ってアフリカ、南アジア、東アジア、オセアニアで貨幣として使われたそうです。

 

ヨーロッパ人は金や銀を貨幣として扱いました。

 

監獄や捕虜収容所ではタバコがしばしば貨幣の役割を担ったそうです。

 

ヨーロッパ人にとってタカラガイの貝殻は、全く意味をなしません。

 

一方アフリカの人たちにとって金や銀は、全く意味をなしません。

 

これが今の時代は全世界がある共通の概念をもった貨幣制度を導入したことによって、タカラガイやタバコや金や銀ではなく、「統一された貨幣」で取引ができるようになりました。

 

地域ごとによって定められていた個々の貨幣制度から「統一された」貨幣制度に移行していくことによって取引の世界がぐっと拡がったわけです。

 

帝国

「帝国」というと、強い権力をもった王が力で支配をし個人の自由をないがしろにされるような、あまり良くないイメージを持つ人は少なくないと思います。

 

ハラリ氏は帝国を以下のように定義しています。

  • それぞれが異なる文化的アイデンティティと独自の領土を盛ったいくつもの別個の民族を支配していること
  • 変更可能な境界と潜在的無人の欲を特長とすること

 

近年でいえば「大英帝国」が一番わかりやすいかもしれません。

 

彼らはもともとはグレートブリテンの小さな島しか領土がなかったのですが、協力が軍事力と政治力で世界に進出し、アジア、アフリカ、オセアニアアメリカ大陸に住んでいた異民族・異文化の人たちを支配下におさめました。

 

そこで何が起こったかというと、「現在の文化の廃止」と「帝国側の文化の強要」でした。

 

言葉が英語に切り替えられていく。

 

キリスト教的価値観、概念が生活に押し込められ、法律にも影響を与えてきます。

 

今のカナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどはイギリス連邦の一員ですよね。

 

スペインが中南アメリカを植民地にしたことで、彼らの言語はブラジルを除いてみんなスペイン語になりました。

 

インドもイギリスの支配下だったことから英語が公用語に加えられました。

 

日本も台湾や朝鮮半島で同様なことを第二次世界大戦前に行っていました。

 

これによって何が起こったかというと、「多様性が激減した」のです。

 

そう帝国が支配したところの文化は帝国の文化に置き換えられてしまったからです。

 

ハラリ氏は「多数の小さな文化を融合させて少数の大きな文化にまとめる過程で帝国は決定的な大きな役割を果たした」と述べています。

 

「善人と悪人」の定義も、文化の数が少ないほど、すなわち価値観の軸が少ないほどまとまりやすいですね。

 

誰かが腕を怪我した。

 

怪我させたやつを処罰しよう。

 

A国は「3年牢屋にいれよう」という

 

B国は「暴力なんて信じられないから死刑だ」という

 

C国は「怪我させたやつの腕を同じように怪我させよう」という

 

D国は「怪我したやつが弱いからいけないだけで無罪だ」という

 

さあ、何が正しいのでしょう。。。

 

チャップリンも映画で言っていました。

 

「人1人殺せば殺人罪を問われるが、(戦争で)大量に殺せば英雄だ」

 

社会を営むには「統一された価値観」が必要なのかもしれません。

 

その制定に帝国が大きく寄与したということです。

 

宗教

殆どの宗教が、「布教」を使命の一つとしています。

 

なぜならそれが相手の幸せになると信じているから。

 

そして宗教は価値観の統一に大きく寄与してきたことは容易に想像できるでしょう。

 

明治時代に「日本人は宗教をもたずにどうやって価値観を形成しているんだ?」と問われ新渡戸稲造は「武士道」という本を英語で書いて海外に発表しました。

 

 

 

 

宇宙的視点でみれば統一に向かっている中、ミクロな視点にたてば自分主義(〜ファーストの概念)の台頭によって分裂に向かってそうな印象もありますが、実は統一にむかって誰が主導権をとるかというマウント合戦にすぎないのかもしれません。

 

どこを統一させてどこを自由に多様性を認めるのか、社会を育む上で大きなテーマですね。

 

私が運営しているちっぽけなシェアハウスでさえ、その縮図のような気がしています(^^)

 

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