今回の読書会の課題図書はこちら。
題名がやたら長い(笑)
”文豪”と呼ばれる作家が登場したのは明治・大正の時代からだと思われます。
夏目漱石、森鴎外、幸田露伴、志賀直哉、太宰治、芥川龍之介などなど・・・
しかしそんな文豪たちの作品を人気でしのぐ小説の世界があったらしく、その世界を紹介している本です。
私は、題名をみてちょっと期待したのは、「森鴎外の舞姫を少し理解できるかもしれない」という全然とんちんかんなことでした(笑)
私は子供の頃から読書が好きでなく、本を読まない子でした。
中学生になって森鴎外の舞姫を読まされる機会があったのですが、これが私にはちんぷんかんぷんだったんですね。
「石炭をば早積み果てつ。中等室の卓(つくゑ)のほとりはいと静にて、熾熱燈(しねつとう)の光の晴れがましきも徒(いたずら)なり」(舞姫の序文より引用)
こんな序文から始まる舞姫。
文語調な段階ですでに私の脳みそは停止してしまい、この後読む気が一気に失せたんですね(^^)
夏目漱石はまだ今の口語に近い書き方をしてくれていることもあり読めなくはないのですが、「吾輩は猫である」では、ダラダラとしたストーリー(私にとってはダラダラと感じたんです・・・)がどうもかったるくて、これも読む気が失せてしまった。
太宰治は「走れメロス」は読んだ覚えはありますが、ストーリーは忘れてしまいました。
志賀直哉の「小僧の神様」とか井伏鱒二の「山椒魚」「黒い雨」あたりは読めましたが、私はやはり「文豪」の小説がどうも相性悪い(笑)
そんな私が「もしかしたら舞姫が読めるかも」なんてずれまくった気持ちでこの本を手にしたのですが、内容は全然違いました(^^)
明治から大正にかけて流行った小説は、文豪が書いたようなものよりも、こんなタイプのものだったんですよ、という紹介でした。
東海道五十三次のパロディーで宇宙にいってしまうとか、ものすごい豪腕な武士がお殿様をやっつけちゃう、とか。
作者によると小説のレベルは、文豪たちが書いたものには足元にも及ばないくらいレベルや技術が低いらしく、当時はそんなものだったんだとか。
面白いは、全くの架空の話は受け入れられず、実際に現存している人物や現実としたあった出来事がストーリーの軸になる要素が必要だった、ということ。
今でいうとリアリティ、ということでしょうか(^^)
そして悪いやつを懲らしめていいヤツが最後は勝つ、という勧善懲悪の流れなんだそうです。
だから主人公は数百人も人殺しをしますが、それでもヒーローなんです。
ま、水戸黄門でさえも最後は助さん格さんがばったばったと悪人たちを斬り殺しちゃいますけど、テレビの向こうでは拍手喝采だったでしょうね。
(少なくとも私の祖母は大好きで「ほれ、やっちまいな!」と掛け声かけていました)
子供ころ、怪獣とウルトラマンが戦ってどちらかが投げ飛ばされるとマンションや家がぶっ壊されて、「あそこに住んでた人たちはどうなったんだろう」と気になっていました(笑)
著者の分析で明治・大正に流行った小説のタイプが3つほどに分類されて、それぞれの特徴な主だった作品のあらすじなどが紹介されています。
個人的な好みという観点からすると、あまり好みではなかったです^^;;
神田松之丞さんがブレークした講談がお好きな方はもしかしたら相性がいいかもしれません。
その当時は講談を速記して本にした、というタイプのものが主流だったらしいですから。
読書会で話をして気付かされたのですが、今でもこのような小説、漫画などはたくさんありますね。
ドラえもんだって奇想天外ですし、ドカベンだってありえないようなプレーがたくさん出てきます(^^)
でもその時代情勢を背景としてはちゃめちゃぶりがエンタテイメントになるんですね。
この本を読んだ時はあまり興味が持てなかったのですが、当時の世相や時代背景を感じるエンタテイメントと考えると、楽しめる要素がありそうだなぁ、と感じました。