48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

東海道五十三次ウォーキング 小田原城

前回小田原宿までの道のりをご案内しました。

 

f:id:almater2014:20220317092026j:plain

 

このように小田原宿の目印があります(^^)

 

街に入ると、町名を刻んだ標石をみかけます。

 

f:id:almater2014:20220317092203j:plain

こんな感じです。

 

脇にはこのように町名の説明が記載されています。

f:id:almater2014:20220317092236j:plain

 

町名が変わると町ごとにこの標石をみかけるので、なかなか趣を感じます。

 

国道1号線からはずれてかまぼこ通りに入ります。

f:id:almater2014:20220317092511j:plain

道を挟んでかまぼこ工場や販売店が並んでいますが、それほど「かまぼこ〜」という雰囲気はなかったです(^^)

 

しばらく進むと松原神社に到着。

f:id:almater2014:20220317092614j:plain

小田原宿の総鎮守だったそうです。

 

f:id:almater2014:20220317092719j:plain

そこの地図を見るとこのように小田原城まですぐなことが判明。

 

お昼の時間でもあるし、小田原城の周りになにかあるだろうという軽い気持ちもあって、小田原城に寄り道することにしました。

 

小田原といえば、かまぼこも有名ですが、北条氏が最後まで豊臣秀吉に抵抗して籠城していた堅固の城、小田原城です。

 

小田原評定」の言葉を生んだ舞台でもありますが、それだけ守りに強いお城だったんですね。

 

f:id:almater2014:20220317092824j:plain

小田原城の案内図です。

 

さすがお城だけあっていい広さをもっています。

 

中に入ってみました。

 

f:id:almater2014:20220317092910j:plain

こちら小田原城にいくつかある門の一つ「常盤木門」。

 

小田原城の本丸正門だそうです。

 

常に緑色の葉をたたえる松のように、小田原城と小田原が永遠不滅に繁栄するようにいう願いがこめられて命名されたとか。

 

1703年(元禄16年)の地震で倒壊・炎上し、1706年(宝永3年)に再建。

 

1870年(明治3年)小田原城廃城とともに解体されたが、1971年(昭和46年)再建されたそうです。

 

この門をくぐると見えてきました、天守閣。

f:id:almater2014:20220317093330j:plain

なかなか立派ですね。

 

さらに近くまで寄ってきました。

f:id:almater2014:20220317093420j:plain

存在感たっぷりです(^^)

 

f:id:almater2014:20220317093434j:plain

小田原城にはこのような説明の看板がいたるところにあるので、歴史や建造物が好きなかたはゆっくり読みながら散策を楽しめると思います。

 

小田原城には梅園があり、ちょうど紅白の梅がいい花を咲かせていました。

f:id:almater2014:20220317093610j:plain

桜の花は「春そのもの」を感じさせますが、梅の花は「春の到来」を感じさせます。

 

なかなかいい散策でした。

 

この後のウォーキングがなければもっとゆっくり回りたかったのですが、今回はちょっと立ち寄る程度にして、小田原城を後にしました。

 

さて、いよいよ箱根の山登りです。

 

そしてその前にお昼と思っていたのですが、小田原城から駅にいくのは遠回りになるので、再びコースに戻って国道沿いになにかあることを期待したのですが、これがものの見事にはずれ・・・

 

小田原城の手前だったらあったのですが、そのまま箱根登山鉄道の高架線路の下をくぐったらすぐに脇道へ誘導。

 

その脇道は絶望的なくらい民家ばかり(笑)

f:id:almater2014:20220317094140j:plain

朝食を食べたとはいえ、20km以上もあるき続けていればさすがにお腹が減ります(笑)

 

もうしかたがない、この後の箱根登山鉄道の駅近くを通るだろうからその近辺に期待しよう、ということで、空腹でガス欠な体に鞭打って歩き始めました(^^)

 

ということで、この後の箱根路は次回に(^^)