さてさて、前編では三島市に入ったところまでお届けしました。
道路を渡ると再び石畳の山道です。
この箱根路はぬかるんだ土に足をとられないよう、石畳を整備したということもあり、山道はほぼ石畳です。
こちらは「一本杉の石橋」といわれている石の橋です。
埋もれていたものが発掘されて復元されたとのこと。この下は石で作った水路があったようです。
下っていく間、このように箱根旧街道のその場所ごとに解説してくれる看板をよくみかけます。
山中城は小田原に本城をおく北条氏がたてた山城で、西からの攻めに対する守りを目的としていましたが、豊臣軍が攻めてきた時に1日で落城してしまったらしい。。。
このあたりの石畳についての解説板。
菊池千本槍の碑、と呼ばれる記念碑。
建武2年(1335年)この付近であった水呑峠の合戦で、後醍醐天皇の命を受けた先鋒菊池肥後守武重の一千余の兵は、槍の原型となる竹竿の先に短刀を括り付けた武器で足利勢に大勝利、九州へ帰国したのち武重は刀工延壽に槍を作らせ、後にこれが菊池千本槍と呼ばれたんだそう。
そして再び石畳の下り坂。
松尾芭蕉が貞享元年(1684年)の旅の途中に詠んだものを記念碑にしたんだとか。
「霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き」と書かれていて、ここからの富士山の眺めのよさを唄っています。
下る下る・・・箱根峠をすぎてからひたすら下りですが、京都から来る人達にとってはこちらは上り坂になるわけで、かなりきつそう^^;;
ふと市街地にでるとこういった花がみられて気分が和らぎます(^^)
そして森を抜けるとこのように手前に愛鷹山、奥に富士山が見えるようになってきます。
この日はあいにく雲が多くて富士山のいただきが浮かんでいるように見えました。
たくさんのお地蔵さん。
右手再び山道に入ります(^^)
臼が転がったと言われる臼転坂。
地図の右側が箱根の山で、左が三島です。だいぶ山を降りてきたことがわかります。
ちょっとシーズンが過ぎてしまいましたが、道路にかぶさるような桜並木。1週間前だったらもっときれいだったでしょうね。
富士山と反対側に目をやると伊豆の山々がみえてきます。
こちらは初音ヶ原の松及び杉並木の石畳遊歩道。
三島市も力をいれて整備している模様。
一里塚です。このようにこんもりした丘になっています。
富士山がだいぶ近くに見えてきました。
道路を渡る橋を石畳風にしたり、ベンチを設置したりしていて、この並木遊歩道は歩いていて気持ちがいい。
遊歩道が終わるとこのような看板が目に入ります。右へ進路(^^)
先程の地図と比べるとだいぶ西側に歩いてきたことがわかります。
京都から来た人には、これから待ち受ける箱根八里のことが解説されているこの看板はいいベンチマークになりますね。
踏切〜。
このどこまでも続く線路の感じがたまりません(^^) もちろん踏切の上で撮影しています。
新町橋で、ここからの富士山の眺めが絵になっているくらいいいらしい。。。
江戸時代には長さ19間(35m)幅3間(5.5m)で欄干のある板橋がかけられていて、
橋(1737~1778は土橋)を渡ったところには江戸見附がありここからが三島宿だったそうです。
小浜山刑場で斬られた罪人の首を晒した場所でもあり、橋を渡り左折したところに引取り手のない無縁仏を土地の人が弔ったと伝わる「無縁法界地蔵尊」があります。
そして三島神社に到着〜〜。
広重の絵にも三島神社があることから、三島宿のゴールはここにしました。
いや〜歩いた、歩いた。
箱根港から約4時間、歩いて走って(^^)
次回は沼津に向かいます。