だいぶ進んできた東海道五十三次のウォーキング、今回は掛川宿から袋井宿です。遠江国を横断中です。
平将門とその一門19名を祀っている塚とのこと。朝廷への反逆の罪で成敗された平将門ら19名の首級を検分のため京都へ運ぶ途中、途中のこの掛川で京から来た勅使とあったため、検視をうけて埋葬されたと言われています。
大池橋は江戸時代からある古い橋で、当時は土橋だったようですね。
大池一里塚跡。日本橋から59番目です。
仲道寺。1733年建立とのこと。
東海道の松並木です。この一帯は松並木がずっと続いていて当時の様子を伺うことができます。ただかなりマツクイムシにやられてしまっているようで、後から植えたものが多いようです。
「間の宿(あいのやど)」原川の標識。間の宿は宿と宿の間にある小集落のことをいうようです。休憩所はあるけど旅籠は許可されなかったとのこと。
題字が行書でかかれているので「行書東海道」とのこと。
「冨士浅間宮赤鳥居」。1590年に建立され、1639年に北条氏重が現在の地に移築した冨士浅間宮本殿への参道の入口に建てられたもの。ここの「冨士」は「ウ冠」ではないのが面白い。
久津部(くつべ)一里塚。日本橋から60番目です。
こちらは題字が隷書なので隷書東海道。
松並木を過ぎたところでこのような案内板がありました。
袋井宿の文字がでてきました。
標識がありますが、すっかり草に覆われていました(^^)
橋を渡ったところで「東海道どまんなか茶屋」という休所があります。コーナーに佇む小さな建物がそれです。
近づいてみると「日本一小さな歩く道の駅」という表示。いいですね、「歩く道の駅」。先日の私の妄想も発想はこんな感じでした。
またも草に埋もれる標識(笑)
袋井宿本陣跡は今は整備されて公園のようになっています。
袋井宿東本陣跡の標識です。さきほどの写真にあった門の前に掲示されていました。
袋井宿は53ある宿の27番目という、ちょうど中間地点になります。
このように整備された公園に地元の方がゆったりとされていました。
掛川から袋井までは約10キロメートルとなかなかの距離でしたね。
前日ホテルに宿泊して体を休めるつもりが、飲みに行って調子に乗って深酒してしまったため若干の二日酔いだったことと、深酒したので体のメンテナンスをしなかったので足がパンパン(笑)