48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

父、その後(7)

感染症(と思われる)で入院していた父ですが、ゴールデンウィークさなかに無事退院しました。

 

入院中はだいぶ弱っていた感じだったので、訪問医療を再開しようということで、退院当日ではありましたが、訪問医療をお願いするクリニックの人たちが夕方来訪する手配を妹がしてくれていました。そのため、私も同席するために実家で待機。

 

退院して帰宅してきた父はびっくりするくらい元気で、普通に歩いて家に入ってきました。減っていた体重も少し回復したようで、これなら、とその後が安心できる印象を持ちました。

 

帰宅してまもなく、医師、看護師、ケアマネなど4人ほど来訪。そこに妹や私もいたものだから、8人くらいが実家のリビングに集まり、かなり騒々しい。

 

騒々しい状況は父もかなり疲れるだろうとずっと側にいて、別の話をゆっくりすることで騒々しさから隔離するようにしていました。

 

その日一緒に夕飯を食べて、久しぶりの我が家に安心したのか早めに父は就寝。

 

翌日朝父が起きたのを見届けて私は帰宅。これで少し落ち着くといいな、と思っていた所妹からまた連絡。

 

どうも父がその後1日中寝ているらしい。

 

妹は、「1日寝ている」→「足をつかわない」→「足の筋肉が落ちる」→「ますます寝たきりになる」→「認知が進む」→「周りが大変になる」という方程式があり、無理矢理でも起こして歩かせたほうがいい、と母に言っているらしい。

 

そして強制的でも運動させるためにデイケアにいかせたいから、その見学につれていく、という。

 

でも、父が寝込んでいるというのは、腹膜播種含め体調がきついからであって、怠けているわけではない、というのが私の見立て。

 

父は「自分でものを食べて、排便するという当たり前の行為をちゃんとやりたい」と以前から言っていて、自分自身の力で生きていきたいという気持ちを自分の支えにしているように感じます。

 

耳も遠くなり、認識する速度も動作速度も落ちているので、父にとっては時間はゆっくり進んでいるようにもみえます。

 

会話のテンポも話題の展開も父のペースで話しかけると、よく父は話をしてくれます。

 

だから人から「あれやれ、これやれ」と指図されるのは、自分がそのスピードについていけないこともあってかなり不快感を感じてるように見えるんです。

 

そういう点で妹の動きは急ぎすぎ。「デイケア予約しちゃったんだったら仕方ないないけど、父は多分行きたがらないよ。そしたら無理やり連れて行くんじゃなくって、母と2人で見学に行ってきたらいい」と暗に父を無理やり連れて行かせることに反対しました。

 

元々デイケアみたいなところには絶対行かないと言っていた父なので、予め父にいうと絶対「行かない」というだろうから、当日ゲリラ的に妹が「見学予約いれたんで行こうか」と持ちかけてみた。案の定父は「いやだ」。

 

結局妹と母が2人で見学に出かけていきました。

 

父と2人になって静かになった所で「少し外を散歩してみるか?」と誘った所、数日寝てばっかりだった父が「いこうか」と乗ってきた。

 

退院以来の外出。

 

マンションの入口まできて休憩。父にとってはほんの100メートル歩くのもかなりの運動です。10分ほど休憩して近くの河原にでかけてそこで2人で座って、ゆっくりおしゃべり。

 

父は心のうちをいろいろ話ししてくれました。

・母や妹には感謝していること

・この半年(膵臓を全摘したのが半年前)で一気に体力が落ちていることを実感していること

・(昔スポーツが得意だった自分にとって)それが情けなく感じていること

 

昔の父は本音を見せないタイプでしたが、がんになってからは自分の思いを離してくれるようになった気がします。

 

父が母や妹に時々あたったり、苛立ったりするのは、自分で思うようにできないのに急かされることが直接な理由で、さらに本当は母や妹に感謝しているのに、その感謝する余裕が持てなくなってしまっていることへの苛立ちが奥にある理由のように感じます。

 

妹も母も純粋に父のために動いているので、その思いがうまく父に伝わるように工夫できるといいんですけどね。(^^)

 

新しく訪問医療を担当してくれる先生が、そんな父の思いを汲み取って「無理させないでゆっくりやりましょう」と妹や母にも話をしてくれています。父もいい印象をもっているようです。

 

補助輪のような存在、これが父には合っているようです。

 

1ヶ月遅れですがこれから抗がん剤治療が始まります。

 

 

 

「寄り添う」ということを父を通じて学ばさせてもらってます。