前回は水口宿と石部宿のほぼ中間地点である三雲まできたところまでご紹介しました。
では三雲から石部に向かっていきます。JR草津線がほぼ旧東海道に並行に走ります。三雲駅、甲西駅、石部駅の順です。
三雲駅をすぎてすぐの旧東海道はこんな感じ。道幅はそんなに広くはなく、落ち着いた雰囲気です。
なんとなく「昔は城下町だったのかな」と思わせるような雰囲気があるのですが、このように結構見どころがあるようですね。
道標が三基あり、真ん中が寛政9年(1797年)建立らしいです。
旧東海道の道標。この向こうに見える踏切を超えます。
隊道です。明治になってから作られたようで、それ以前はこの丘を直登していたのだそう。そら、きついね・・・
ここにも隊道。やはり明治になってから作られたようで、それ以前は丘を直登していたそうです。
このあたりは「針村」と言われていて、甲賀武士の針和泉守がこの地に居住していたのが由来のようです。
北島酒造さん。創業文化2年(1807年)で「御代栄」の蔵元です。
家棟川なんですが、ここは元天井川(道の上を川が流れる)だったらしく、明治になって河川改修がはいり、川が低くなったそうです。
天然記念物があるらしいのですが、この時は先を急いでいたので寄り道できず^^;;
いよいよ石部宿の東見附にきました。石部宿はこのような解説板が中心となっています。
高札場跡です。
こちらは問屋場跡になります。
広重の東海道の絵。
石部宿の小島本陣跡です。石部宿に到着できました!
手前にある標識が旧東海道の道順を示しています。この写真の奥にある建物が田楽茶屋というお店で広重の絵に描かれていた目川の伊勢屋を再現したものらしい。
こちらは石部宿の西側の見附跡になります。この手前に一里塚跡があったはずなんですが気づかなかった。。。
ということで、無事石部宿まで到着しました。
実際にはここから一旦草津まで電車で移動してホテルに宿泊し翌日また石部まで電車で戻って再スタートしました(^^)
「石部金吉」という言葉がありますが、固いものの代表である「石」と「金」を組み合わせて融通のきかない堅物を表した言葉ですが、おそらく飯盛女をかたくなに置こうとしない石部宿を揶揄(やゆ)した意味がこめられているんだとか(^^)
さ、ゴールまであと3つです!