父が亡くなり、慌ただしく翌日葬儀をすませ、その翌日北海道へ移動し、その翌日には、北海道の家具類をジモティーで応募してくれた方々へ引渡し。
その翌日もジモティーの引渡しをして、不用品の廃棄作業に追われ、ある程度のところできりをつけ、スーパーの惣菜と一緒に晩酌を始めた時、大学のサークル同期の1人からメッセージが入りました。
父の話についてのお悔やみが冒頭にかかれていて、気遣ってもらいありがたいな、とメッセージを読み進めると、「こんなときにまた信じられないことをお伝えしないとならないのですが、昨夜、Aさんが亡くなったそうです。」という文字が。
ん?Aさんって、あのAさん?
我々の同期で大学在学中はとても仲良くさせていただいていたあのAさん。
全く予想もしなかったことが飛び込んでくると、人間、軽いパニックになるみたいです。
4月に悪性の病気にかかっていることが判明し、わずか4ヶ月。私より1つ年下で、旅立つにはあまりにも早すぎる年齢でした。
この世に生を受け、学校やクラブ活動、企業勤めなど様々な社会に関わってきましたが、今も続いている交流の中では、大学時代の付き合いはかなり薄かった一つ。
卒業してから、同期の結婚式に全員が招待されみなさんと会えましたが、私は卒業以来それくらいしか会った記憶がなく、数名年賀状のやりとりが続いているくらい。
数ヶ月前に1期上の先輩から声がかかって会いましたが、この先輩と数回あったくらいです。
連絡をくれた同期を通じて、同期の一部で形成されていたLINEのグループに招待され、それから同期たちの奮闘で、Aさんの訃報から葬儀までの1週間でほぼ全員がグループに参加。
奇しくも、同期の結婚式以来全く会っていなかった同期とSNS上ではありましたが、つながることになりました。
向かえたAさんの葬儀。
不安定な天気で、夕立に見舞われるあいにくな天候でしたが、15人の同期のうち8人、中の良かった1期上の代が4人が参列しました。
つい2週間前に見た、父の遺影が入っていた同じようなデザインで色違いの額に、大学同期のAさんの遺影が入っていることがまだ受け入れられない自分。
僧侶の唱える読経と磬子(けいす)の音がじわじわと現実感を醸し出してきます。
式が終わり、Aさんの棺で本人と対面。安らかな表情でした。
その後、学生時代に何度かお宅にお邪魔していたこともあり、面識のあった喪主を勤めていた弟さんとAさんのご母堂にご挨拶。35年も前のことだったのに、ありがたいことに覚えていていただけました。
式場を後にして、同期と1期上の先輩たちと”お清め”の会食。
我々が所属していたクラブは今も続いているらしく、OB/OG会も開催されていて、現役のレベルもぐっとあがっているらしい。(クラシックギターを演奏するクラブでした)
私と同様独立した人もいれば、新卒で入社した会社で定年間近の人も。
Aさんが再びつないでくれたかのようなReunion。
我々のつながりはこれから育まれていくものなのかもしれません。