48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

Reunion〜前職”若手組”

先日goffoにて前職の元同僚のマダムたちとランチをしたことをご紹介しました。

 

www.almater.jp

 

この投稿をみた同じ職場の元同僚が、「もうそろそろみんなで集まりたいですね」と連絡がきました。

 

今から20年くらい前に同じ職場で仕事をしていた仲間たちで、当時の”若手”で20代〜30代なかばくらいまでのメンバーでコロナ前までは、毎年のように同窓会をしていました。

 

20年前は我々が所属していた事業は成長軌道にのって活発だったのですが、しばらくしてフォーマット競争に敗れて事業が縮小へ。それとともに移動や退職でみんながばらばらになっていきました。

 

当時は忙しくても充実していて、平日は残業の山でしたが週末は仲間たちと遊びに行ったりするくらいバイタリティがあった時代です(^^)

 

管理職だった私はみんなの残業が1時間でも給与になるようにと、毎月のように労働組合と人事とかけあって残業特別申請をしていた覚えがあります^^;;

 

今のご時世では残業に対する規制がより厳しくなっていましたが、当時は仕事をやり遂げることにやりがいを感じて、残業を厭わなかった人たちが少なくともこのメンバーでは多かったので、少しでも残業代につながるように動いていたりしました。

 

 

 

そんな仲間たちとの集まりが4年ぶりに企画されました。

 

どれだけ集まるかなぁ、なんていってましたがた〜くさん、集まりました(^^)

いや〜なつかしい(^^)

 

宴会場の机を2列占拠しました(笑)

 

当時20代〜30代なかばだった”若手”も、20年たった今や40代〜50代(笑)

 

入社年度で見ると私と同期の2人が一番古い入社。

 

当時の技術者、マーケティング担当、秘書、カスタマーサポートと職種も多肢に渡っています。

 

最高齢は今年59歳になる私の同期(^^)

 

もはや、”若手”ではない(笑)

 

20年前に一緒に仕事をしていて、頼りになっていた上司が当時50歳になっていなかったことを考えると、なんか隔世の感があります。

 

ほとんどのメンバーが前職の会社に残っているようです。

 

私が退職した時期が株価的に言えばどん底だった時代。当時1,000円を切っていた株価は今や14,000円に達するくらい回復。私の(早期)退職が会社回復に微力ながら貢献している、と勝手に思っている私(笑)

 

話をきけば、お子さんが就職したとか、一緒に飲みに行ったとか、学生で反抗期だ、と当時(独身も多かったので)と比べると話題が全然違う(^^)

 

一方で、宅建士に合格した!とか、初マラソンで4時間半!とかチャレンジしている話も聞こえてきて頼もしく感じました。

 

宴会が終わって、後輩の1人が、今テレビのRF(アナログ信号を処理する技術)をやっていると聞いて嬉しくなりました。ほとんど部品を外注するようになって独自技術がなくなってやしないか危惧していたのですが、まだまだハードの技術を活かせる分野があるなと感じられたからです。

 

今は「エンジニア」といえば当然のようにプログラムができるソフトウエアのエンジニアを指すようになりましたが、当時はハードウエアの技術者の方が主流でした。

 

それだけにハードウエアの技術者が活躍する場があってちょっと安心。

 

 

 

また集まりたいですな。

 

今度はそろそろ”若手”の文字が消えるのかな(笑)いや、このままあってもいいね。