48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

読書会〜感じるオープンダイアローグ

 

今回の課題図書はこちら。

 

「オープンダイアローグ」とは、いわゆる「対話」です。

 

著者の森川すいめい氏は、精神科医で、フィンランド発祥の「オープンダイアローグ」という仕組みを理解していく過程をまとめたのが本書です。

 

著者が理解していく過程をまとめることが、すなわち「オープンダイアローグ」がどういうものかを紹介することになるだろう、と考えたと著者はあとがきで述べていました。

 

このオープンダイアローグ、フィンランド北部の精神科の病院で始まった手法で、精神を病む人の8割が回復したそうです。

 

 

 

 

多くの人は大なり小なり、心に傷を持っています。著者もその一人。幼少の頃からの家族関係から著者がもつ”心の傷”を向き合いながら、このオープンダイアローグという仕組みを自分の中に取り込み、実践していく様子がわかりやすくまとめられています。

 

本書によると、オープンダイアローグを活用するには大きく3つの軸があるとのこと。

 

1)理念

2)実践

3)トレーニン

 

1)理念は「当事者のいないところで、当事者のことを話さない」「対話を中心に置く」ことにあるといいます。陰口をたたくこと、マウントをとることはまさにこの理念の逆側にあります。

 

2)実践では、「対等に話ができる」「誰かが話している時は、口を挟まず”話し切る”まで話を止めない」「相手を言い負かそうとしない」「相手の考えを理解しようとする」といったことを意識して場を作っていくところに軸があるといいます。

 

3)トレーニングは様々らしいのですが、”Iメッセージ(アイメッセージ:Iは英語で”私”を表します)”で話す習慣をつけることもその一つと紹介されています。「なぜあなたはそんなことをするのか」と自分の考えなのに相手のせいにして問い詰めるのではなく、「あなたがそうする理由を私が理解したいので教えてほしい」と自分のこととして訊く、という具合です。

 

「対話が止まると人は戦争をおこす」

 

まさに今の時代にこそ必要な行動だと感じます。

 

国同士の争いは自分にとっては大きすぎる話ですが、身近でもこの”対話”の大切さを感じることが最近特に強くなってきました。

 

1つは「家族」。

 

今思えば、様態が悪くなっていき、認知機能も少しずつ落ちてきている父、父をケアする母、妹とのコミュニケーションは、まさに「対話」に近づいていった気がします。

 

父は会話の瞬発力が落ちてきているから、最後まで話しを聞き切らないと、本来の父が言いたいことがわからないし、普段は我慢していて多くを語らない母がなにか話し始めたら、その後に本音がでてくるかもしれない、と思うと話を遮ることはできないし、いつもなら”余計な動き”に感じてしまう妹にだって、思惑や狙いがあるはずだと思うと、その気持をねぎらう言葉が出てきたりするようになってきたのです。

 

父のことがあってから、家族の間で思ったことを話し合える環境が醸成されてきたように感じ、「家族のよさってこういうことか」とやっと理解できるようになった気がします。

 

これまで友人から相談を受けることが少なからずあったのですが、「対話」の要素があると、いい具合に話が進んだように感じられます。

 

一方で、私が失敗してきた関係では、この「対話」ができなかったことが大きな要因だったと、ほぼ間違いなく言えそうです。

 

自分が「対話」をする姿勢をもてなかったところに一番の要因があったんだ、と振り返るとほぼ腹落ちします。

 

 

 

 

私はこれまで「Communication(コミュニケーション)」という概念が、人間関係や組織の融和に大きく貢献する、と認識してきましたが、この本を読んで、「コミュニケーション」よりも「対話」の方がしっくりくるな、と感じました。

 

「コミュニケーション」は「伝達」することに主があるような気がして、「対話」はそこに「相互理解」という要素がより強く反映されている気がしています。

 

著者は本書の最後のFAQで「オープンダイアローグの終着点はどこにありますか」という問いに対し、「対話が続くこと」と答えています。

 

つまり、オープンダイアローグという手法としては「対話が続くようになって」一旦区切りはつくのでしょうが、その中心にある「対話」はずっと続くのであって、終わりがないといってもいいと思います。

 

これって、一番大切なサステナビリティではないかなぁ、とふと感じた次第です。