ノーベル賞受賞
先日日本人のノーベル賞受賞という嬉しいニュースが報道されました。
ノーベル医学生理学賞を本庶佑京都大学特別教授(以降本庶氏とします)が受賞したというものです。
受賞理由は「免疫抑制の阻害による新しいがん治療の方法を発見したこと」とのこと。
がんが増殖するのは免疫の働きにブレーキをかけているからといわれています。
本庶氏は免疫を司る細胞にある「PD-1」という物質を発見、これが免疫活動を抑えるブレーキの役割を果たしていることを突き止めたのです。
このブレーキを抑えるような細工をして本来人間の身体がもっている免疫力をがん細胞に攻撃させる免疫治療薬「オプシーボ」が開発されました。
免疫治療は「外科手術」「放射線治療」「抗がん剤」に続くがんの第4の治療法と言われているそうです。
山極勝三郎という人物
ちょうど受賞したタイミングでNHKの歴史ヒストリアで「幻のノーベル賞 山極勝三郎」が放映されました。
(写真はWikipediaより引用)
厳しい顔つきをされています(^^)
歴史ヒストリアによると確かに厳しい教授だったそうです。
まったく癌の治療方法が確立されていなかった明治時代。
世界に先駆けて癌を人工的に再現することに成功しノーベル賞確実とまで言われたのですが結果的に落選。デンマークで同じような研究をしていたデンマークの教授が受賞することになります。
しかし30年たってデンマークの教授の研究結果には誤りがあることが判明。
改めて山極氏の功績が注目され人工的に癌を発生させる人工癌の研究のパイオニアと位置づけられています。
苦労続きだった研究
17歳で当時の東京大学医学部に入学していたということからかなりデキる人だったのでしょう(^^)
東京大学に2度受験して失敗している私も東京大学医学部のハードルの高さは模擬試験などを通じて体感しています。
そんな山極氏ですが早くから結婚しお子さんも生まれ順風満帆の人生を送るかに見られていました。
しかし最愛のお子さんを小さくして肺炎でなくし「医師なのに自分の子供も助けられなかった」と大きな心の傷をおうことになります。
山極勝三郎を研究している人の考察では、この経験が根本原因を突き止めようとする力の原動力になったのではないかと見る人もいるようです。
山極氏はその後当時不治の病であった癌の原因究明に取り組みます。
世界でまだ誰も成し遂げたことがない研究でした。
当時は「遺伝によって癌細胞が受け継がれる」という説と「外部からの刺激によって癌細胞が発生する」という学説があったそうです。
山極氏は師匠でもあったドイツ人医師の主張にのり「刺激説」の視点で研究にのぞみます。
しかしその研究は地味そのもの。
ひたすらラットの耳にピンセットで刺激を与え続けて細胞の変化を観察する、というものです。
ほとんどの若い助手がこの研究に音を上げ辞めていってしまいました。
その後畜産学を学んだ市川厚一氏が助手として参加。研究対象を耳が大きいうさぎに変えて研究を再稼働させます。
うさぎの耳にコールタールをつけては剥がし、を繰り返すこれも地味な作業。
当時煙突掃除夫にがん患者が多いという経験則もあり、コールタールが癌細胞に影響を与える刺激ではないかと睨んでいたそうです。
市川氏は今季強い若者でしたがさすがに何も変化がでてこないので、市川氏も「もう無理なんでは」と言ったそうです。
その時に山極氏はこう答えたそうです。
「信じて続けることが成功への道である。
これまでは結果が出る前に諦めていた気がする。
諦めたら成功するものも成功しない。
だから諦めないんだよ」
結局3年余りの反復実験でついに人工癌の発生に成功します。
対象動物をうさぎにしたことも成功要因と言われているようですね。
ラットは同様の方法では癌の発生率が極めて低いことが知られているそうです。(Wikipediaの記事より)
諦めない
諦めないことが目標達成に向けて大きな力である、と指摘する人は少なくありません。
大リーガーイチロー選手は「人が僕のことを、努力もせずに打てるんだと思うなら、それは間違いです。」という言葉で、普段の練習の積み重ねの大切さを伝えてくれています。
競馬の世界では「無事これ名馬」という言われがあります。
目標に向けて必要なことを積み重ねていく。
アスリートに代表されるように一流なスペシャリストになるためには、無くてはならない要素なんですね。
時々ふっと思うことがあります。
小学校の頃の自分を思い出してみます。
勉強はそこそこできた。全国区の進学校に入学できたのだから当時としてはそれなりだったんでしょう。
野球は大好きでいつも4番投手でした。(たぶん(笑))あまりまともに打たれた記憶がないんですよね。。。
他のスポーツもそれなりにできていた。走ること以外は。。。
小学校の部活ではすべて選手として出場していました。
水泳部、陸上部、ポートボール部(バスケットボールみたいなものです)・・・
卓球部も部長だったし・・・
野球以外のスポーツは一番ではなかったけど、そこそこ器用な面があった。
その後ギターやったり絵をかいたり。
文化祭でコンサート開いたり、絵画展では県で金賞とったりしていた。
これらもそこそこの器用さがあったらしい。
でも今はどれもやっていない。
唯一野球は野球部で頑張ってみたが、中学のときに発症した急性リンパ腺炎(リンパ腺の癌かもしれない、と言われた親は動転していたらしい)の影響で半年以上運動を止められてから、体のバランスが崩れて肩を壊し思うようにできなかった。
”ちゃんと”継続しなかったからなんだろうね。
野球も休養明けた後、体作りからトレーニングしていたら違っていただろうに。
今から思うと、ただまんぜんとやっていたからなのかな。
目標をちゃんと持っていただろうか。。。
諦めないで継続し続けることはとても大きな力を与えてくれることは多くの人達によって証明されている気がします。
でもただ継続といっても簡単ではありません。
継続していくためのエネルギー源が必要な気がします。
「目標」ってエネルギー源の一つになりうるかな。
それと先日読んだジャック・マーがクリントン元大統領から言われた「使命感」。これもエネルギー源になりそうです。
理性ではなく感情的であればあるほどこのエネルギー源は力強い。
原体験があると強みになるのはそういった要素があるからかも。
未経験で飛び込んだ今のお仕事。
継続は力なりを頼りに日々頑張る自分にとって、このような生き方は励みになります。