48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

吉村昭記念文学館再訪からの史蹟めぐり

吉村昭「冬の鷹」を読んだ興奮が覚めないうちに、と吉村昭文学館を再訪しました。

 

というのも、9月18日まで「冬の鷹」展が開催されていたからです。

 

www.library.city.arakawa.tokyo.jp

 

記念館の中にある特設展示場に展示されています。

 

まず見たかったのがこちら。解体新書の復刻版です。その場で実際に手に取ることができます。

 

中を開くとこのように中身を読むことができます。

 

一列目に「解体新書序」と記載されていることがわかります。漢文スタイルですね。

 

本物はこちらに展示されています。

 

吉村昭が「冬の鷹」を書くにあたって参考にした書籍も一緒に展示されています。

 

展示館には近隣の地図も置かれていて、近くに関連遺跡があることがわかりました。

 

前野良沢杉田玄白らが腑分けに立ち会った小塚原刑場跡と腑分け立会を記念した記念碑です。

 

地図を見ると、歩いていけそう(^^)

 

時間帯は昼の2時過ぎという、猛暑真っ只中^^;;

 

Google mapで25分表示なら大した事ないと舐めてかかってましたが、意外と日陰が少なくかなりぐったりきました。。。

 

小塚原刑場跡がある延命寺に到着。

 

江戸には小塚原刑場と今の大森あたりにあった鈴ヶ森刑場と2つ処刑場がありました。

 

そのうちの一つがこちら。

 

供養のために立てられたという首切り地蔵があります。

www.city.arakawa.tokyo.jp

 

場所が場所だったので撮影はやめておきました。

 

延命寺南千住駅の近くにあります。南千住は貨物の引込線があり、JR貨物隅田川駅があります。それが歩道橋から一望できるという、鉄チャン系にはちょいと嬉しいスポット(^^)

 

近くを流れる隅田川から水路が引き入れられていて、隅田川をつうじて運ばれてきた石炭などをここで鉄道貨物として載せ替えていたようです。

 

もう一つの史跡回向院はこの南千住駅からこのように見ることができます。葵の御紋がありますね。

 

江戸時代の明暦の大火で多くの人が亡くなり、当時の将軍家綱(第4代将軍)の指示で亡骸の供養のために両国に建立されたのが起源とのこと。

ekoin.or.jp

 

ここ南千住はその別院としてたてられたようですが、今は独立しているとのこと。

 

回向院の入口です。

 

腑分け立会の記念碑を目指して中に入ってみたのですが、最初はどこにあるかわからずうろうろ。

 

すると、「史蹟」と看板があったので近づいてみると、安政の大獄で処刑された吉田松陰橋本左内頼三樹三郎らのお墓があるという。

 

入口入って右奥にそのお墓がありました。

 

www.library.city.arakawa.tokyo.jp

 

お参りして目的だった記念碑を探したら、実は入口近くの建物の下にありました。(通り過ぎていた(笑))

 

解体新書の拍子に描かれていた絵ですね。

 

調べてみると、この回向院には、鼠小僧、二・二六事件首謀者の一人磯部浅一のお墓もあり、吉展ちゃん誘拐殺人事件で犠牲となった村越吉展ちゃんの供養のために建てられた吉展地蔵像もあるそうです。

 

暑くてきづかなかった・・・

 

Wikipediaによると首切り地蔵のあった延命寺と回向院は元々同じお寺だったのですが、常磐線の敷設によって南北に分断され、北側が回向院、南側が延命寺となったそうです。

 

帰りはすぐ近くにある地下鉄日比谷線南千住駅から帰宅。

 

いや〜暑すぎて帰宅してから軽い頭痛してたから、軽い熱中症になったかも^^;;

 

前野良沢は晩年、吉村昭の地元でもある荒川区日暮里近辺で過ごしています。なので荒川区にゆかりがある1人です。

 

一方杉田玄白は今の築地のあたりに居を構えていたので、中央区にゆかりがあります。

 

本を読んでゆかりの地を訪れるのは、まさに聖地巡礼のようですが、なかなかいいものですね。