48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

無駄を楽しむ

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会社勤めをしていたときには、「無駄をなくせ」という号令のもと、作業の効率化を図ることが利益につながる、という名目で奨励されていたものです。

 

もちろん今でも”無駄”なことに時間をつかわないようにしたり、”無駄”に食べたり飲んだりしないようにしたり、と”無駄”を意識することはよくあります。

 

 

 

この「無駄を省く」という行為は、例えて言うなら贅肉をおとして体脂肪をどんどん落として筋肉質になっていくさまのようでもあります。

 

プロフェッショナルの動きには無駄がない、洗練されているといった表現がよく使われます。

 

そう、「美しい」のです。

 

芸能、スポーツといった一流の人達の動きはとても美しいです。

 

たゆまぬトレーニングの結果無駄のない動きに磨き上げられています。

 

それはそれで素敵な世界だと思います。

 

 

 

一方で「無駄なこと」は”本当に無駄”、すなわち”意味のない”ことなのでしょうか。

 

私は今の仕事を始めてから、”無駄も肥料”みたいに感じるようになってきました。

 

 

 

 

たとえば家から最寄りの駅までも道。

 

よくいろいろなルートを試してその結果最も早いルートに落ち着くことが多いと思います。

 

するとその”最短ルート”をひたすら往復する毎日になるわけです。

 

それはそれでいいのですが、その結果毎日往復する道しか知らなくなります。

 

昔ちょっと遠かったルートでもし何か変化や発見があったとしても、それらを知るよしもありません。

 

あ、カフェができたんだ、とか。

 

 

 

先日Voicyでこんなことを言っていました。

 

「実用書は核心まで直線的に読むので、核心に視線が行きやすい。

 

一方で小説はいろいろな場面がでてくるので、回りに視線がいきやすい。」

 

おもしろい見方だなぁ、と思いました。

 

無駄なく本論を捉えることも大切ですが、小説で主役でなくちょいやくの登場人物の生き様に興味を持って想像してみる、みたいな読み方もまた楽しそう。

 

 

 

成功の裏にはたくさんの失敗有り、ともいいます。

 

この「失敗」がとかく”無駄”と言われることが多いのですが、「失敗」はそれはそれで一つの結果で、そこに足を踏み入れたからこそ「こうだとうまくいかない」という「結果」を知ることができた、わけで。

 

終結果からすると”無駄”なことかもしれませんが、この”無駄”なことを楽しめたら、結果が思うようにいこうがいくまいが楽しむことができそうです。

 

 

 

 

最近はソフトウエアが設計・開発の中心になってきたためか、「まずはやってみて(β版をだして)うまくいかなかったらどんどん修正(アップグレード)していけば(リリース)いい」という思想が当たり前になってきました。

 

ハードウエアが主流のときは一度ものを作ると修正にとても時間がかかるため、リリースまではとにかく慎重に時間をかけて検証しなくてはなりませんでした。

 

でも、やってみなきゃわからない、ことが多くなってきたのも事実。

 

検証もいいですが、まずやってみて小さな結果を出しちゃうほうがスピードでそうです。

 

 

 

 

失敗するんじゃないか、

 

無駄になるんじゃないか、

 

そう考えてじっとしているより、

 

失敗してもいいじゃん(^^)

 

無駄になってもいいじゃん(^^)

 

と行動してみると、その過程や結果から新しい世界を知ることができる楽しみがあります。

 

 

 

これって無駄じゃないよね?と感じたならきっとそう(^^)

 

無駄かどうかって自分が勝手に決めつけている概念だから、無駄のようで無駄でない、と思えるほうが自分にはおいしい(^^)

 

だから無駄を楽しめると、それはすでに無駄ではなくなったような気がします。

 

 

 

な〜んてことを朝移動がてら聴いていたVoicyで感じていました(^^)