48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

たられば妄想

走ったり、ウォーキングをするとき、私はあまり音楽を聴きません。

 

以前は英語の音源を聴いていたこともありましたが、結局はイヤホンを耳にいれずにそのまま走っています。

 

あるテレビ番組で放映されていましたが、走るときに音楽を聴くのは、走っているときのきつい状態から逃避する効果があるんだそうです。

 

さてさて、では走っている時、ウォーキングしている時、どうしているのか。

 

妄想、です(笑)

 

いろんなこと妄想します。

 

現実的な仕事や人間関係の話もあれば、まったくありえないことを妄想することもよくあります。

 

そんときによくやるのが「たられば」妄想(笑)

 

「もし〇〇がXXだったら・・・」みたいな世界です。

 

学生時代にもっと野球を真剣にやっていたら、とか、ギターにもっとのめり込んでいたら、とか。

 

これ結構楽しいんですね。

 

野球をもっと真剣にやっていたら、その先はプロ野球選手になって大活躍します。

 

ギターにのめり込んでいたら、そのままアーティスト(笑)

 

会社辞めた直後にAmazonの株をかっていたら億万長者(^^)

 

まあ、どれもそれなりの結果を残して妄想は終わります。

 

この妄想、別に過去のことを後悔したり、たらればの世界にひがんだりしているわけではありません。

 

そもそも過去の体験に対して「あの時こうすればよかった」とか「こうしなければよかった」という考え方は全く意味をなしませんね(^^)

 

なぜなら、今と比較できないから(笑)

 

例えば私が学生時代に野球にのめりこんだとしましょう。

 

技術があがってプロ野球選手になっていた可能性はゼロとは言わないまでも、途中で肩をこわして野球部を退部していたかもしれないし、練習しすぎで半月板を損傷していたかもしれないし、プロ野球に入ったとしてもすぐに首になって仕事にこまっていたかもしれないし・・・

 

まあ考えたらきりがないくらいの可能性があるわけで、今の人生とどっちがよかったかなんて、そのほかの人生を送れなかったんですから比較しようがないですよね。

 

同時に複数の人生を送ることができれば、どっちがよかったかを比較して評価することはできますが^^;;

 

 

 

 

時々、過去のことを悔やんでいる、というような話を耳にすることがなくはありません。

 

それは今だから過去の時点で選択肢がほかにあったことに気づけてるけど、当時は今の世界や環境なんて知るよしもない。

 

競馬のレースがおわってから「あ〜、あのあたり馬券買ってればよかった」というのと同じ。

 

期待通りに展開しなかった、とか期待はずれだったことはあるでしょうけど、それも含めての「今」ですよね。過去を否定すると今を否定することと同じことなんですよね。

 

そう、だから期待通りいかなくても「失敗」とかいわない(^^)

 

「うまくいかないことがわかった」と受け止める。

 

失敗したわけではない。
それを誤りだと言ってはいけない
勉強したのだと言いたまえ。

 

かのトーマス・エジソンもこのように言ってますしね。

 

ということで、妄想は妄想で楽しんでいます。

 

未来のこともよく妄想します。

 

今度物件のご縁があったらどんなコンセプトにしようか、とか、今やってる仕事をこんなふうに変えてみたらどうなるだろうか、とか、今数千万円突然手に入れたら何に使おうか、とか(笑)

 

これは妄想でもあり、シュミレーションでもあって、妄想した内容が直接役に立たなくても、何か思考の訓練になるというか、経験を積んでくると自分へのツッコミもそれなりにキツくなってくるわけで、「さぁ、どうするよ」(笑)みたいな自問自答をするんですね。

 

歩いている時や走ってる時って、頭がいい意味でフラットになってるので、あまり制約を受けずに自由な妄想しやすいです。

 

嫌なことを妄想して、それでスッキリというのもあります。

 

なかなか妄想は楽しい(^^)

 

 

 

先日のお昼。

 

うどんの麺をいただいたので、あり物でなにか作ろうと思ったのですが、ちと妄想不足で今ひとつさえないうどんになってしまいました(^^)

 

うどん自体はおいしかった。