48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

父、その後(6)

膵臓がんが判明して1年半。2度の手術で膵臓脾臓を摘出し、復活を目指している父についてご報告してから2ヶ月ほどたちました。

 

その後の状況です。

 

3月に再び発熱したのですが、搬送予定の病院が救急対応に追われて引受ができなかっったため、自宅で様子をみたところ熱は下がってのでそのまま在宅で過ごしていました。

 

ただそれ以降、食欲が落ち、しんどいのか運動もしなくなってしまいました。

 

聞くと食べるとお腹に痛みを感じるのでなかなか食べられない、ということらしい。

 

2週間後病院に行き相談したところ、「検査の支障となっていた腎臓の状態がよくなっているようなので、造影剤使った検査をしてみましょう」とその翌日に検査をしました。

 

結果は、腹膜播種。

 

胃や腸などの臓器とお腹の壁の内側を覆っている薄い膜を腹膜といい、癌の腹膜への転移を腹膜播種といいます。癌細胞が種が播かれたようにお腹の中に散らばることから付いた名称です。
腹膜播種は胃癌においてリンパ節転移や肝転移と並んで最も頻度が高い転移の一つです。

腹膜播種とは | 東京大学医学部附属病院より引用)

 

そう、がん再発です。手術はできず抗がん剤治療になる、とのこと。

 

リンパ節を通じて転移してしまっていたようです。一番恐れていたことだっただけに、なかなかキツイ現実でした。

 

最初は家族で「父はもう手術は気持ち的に耐えられないだろうから、再発のときは本人には告知しない方向で」ということも話あっていたのですが、抗癌剤治療を始めると結局は本人に知られることとなるので、この段階でお話したほうがいいだろう、という主治医からの説明もあり、本人にもその旨伝えられました。

 

そんな父は「これからしっかり治療してまた外に出かけられるにならないとな」と頑張る意思を家族にみせていたようです。

 

そしてその翌日、何を思ったのか「友人に会いに行く」と突然の外出。それまで自宅でも歩けないくらいしんどそうにしていたのに。母が慌てて追いかけてもおいつかなかったらしく、数時間後に無事帰宅してきたそうです。

 

父が「負けてられない」と気合がでたのか、なんて思っていましたが・・・

 

その翌日、突然の高熱で救急車で搬送。37度台でも救急車を呼ぶよう指示されていたのですが、このときは40度近くまであがったらしい。

 

非番だった妹が向かってくれ、母と対応してくれました。

 

前と同じ胆管炎かと思いましたが、今回は何かしらのウイルスまたは菌に感染した恐れがあったのこと。脾臓を摘出した父は、健常者なら平気なウイルスまたは菌でも劇症を発して敗血症になる恐れがあります。

 

前日無理して外出したことが引き金になったかもしれません。

 

そのまま入院して病院の手当もあり、父は回復。現在もそのまま入院しています。

 

翌日には母に電話がきて「あれがほしい」みたいなリクエストを言ってきたので、「病院(の点滴)で栄養もとれて返って元気になったんじゃないか」などと母と話をしていました。

 

リクエストのあったものを届けるついでに私が、後日妹、母が見舞いに行きました。

 

そこで3人が感じたのは「認知症の症状が出ているかも」でした。実は救急車で搬送されるときにも、救急隊、病院のスタッフから「認知症でてますか?」と訊かれたそうです。

 

一番甘えられる存在である母への暴言がひどくなってきたので、これでは母がしんどいな、と。

 

 

 

 

父が退院した後の体制とその準備を進めていくことになりそうです。

 

訪問看護デイケアの活用、施設の可能性、不動産資産の扱い、私の活動拠点などなど。

 

父によっていい環境を作っていくのも大切ですが、面倒をみる母のケアも重要な事項で、長期間継続するためには、一時的な我慢、ではなく、ある程度割り切った形で心身を保てる環境にしていくことも考える必要があります。

 

これから新たな家族のステージに入っていく、そんな印象です。