48歳からの挑戦

47歳で脱サラ、48歳で起業したおじさんの奮闘ぶりをご紹介しています

読書会〜「獅子のごとく(上)(下)」

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今回の課題図書は珍しく小説。

 

黒木亮氏の「獅子がごとく」でした。

 

先週は台風の影響で読書会が順延。一週間ずれての開催でした。

 

獅子のごとく 上 小説 投資銀行日本人パートナー (幻冬舎文庫)

獅子のごとく 上 小説 投資銀行日本人パートナー (幻冬舎文庫)

 

 

 

獅子のごとく 下 小説 投資銀行日本人パートナー (幻冬舎文庫)

獅子のごとく 下 小説 投資銀行日本人パートナー (幻冬舎文庫)

 

 

あらすじと屈折した主人公心理

裕福な家庭に育ちラグビーに青春をもやしていた一青年逢坂に突然災難が襲ってきます。

 

それは自分の家を追い出されること。父親の事業がうまくいかなくなってきたため融資元の銀行が引き上げを決めて資産の大部分を失ってしまったのです。

 

逢坂は銀行に恨みを持ちます。この恨みが実に彼の行動を支えることになるのです。

 

銀行に仕返しをするには力(パワー)が必要だと考えた逢坂は、外資投資銀行に身をおくことになります。

 

逢坂は体育会系で鍛え上げられた体力と精神力で精力的に仕事をこなしていきます。

 

いろいろなことはあったが逢坂は投資銀行で会社の所有者でもあるパートナーの地位まで上り詰めます。

 

しかし年収数億となっても逢坂の働くことに対するエネルギーは落ちません。

 

そして仕返しの相手として最も重視していた人物とビジネスで戦うことになります。

 

詳細や結末はネタバレになるのでここでは割愛します(^^)

 

おさえておきたいところ

 

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主人公逢坂の人物像はこの小説においてキーだと思います。

 

その人物像を考えるにあたって「〇〇な人」という評価をするのではなく、「こんな状況だとこういう反応、行動をするだろう」みたいな目で見てみるのがいいです。

 

「傲慢な人」「ただの成金」「昭和の人」みたいな評価をする人もいるでしょう。

 

でもそう評価してしまった瞬間に、この人物のインサイトから離れてしまう気がするのです。

 

私は「〇〇な人」という見方を「レッテルを貼る」を表現しています。

 

そう、紙に「〇〇な人」と書いてその人に貼り付けているのです。

 

人は怖いもので、こう評価すると知らず知らずにその人は「〇〇の人」なんだと決めつけるようになり、そうでない面が出ると、「あれ?」と戸惑ったり、ひどいときには怒りを見せたりします。

 

人を枠にはめてしまうんですね。

 

その人の変化や、我々から見えない部分を受け入れなくなってしまうのです。

 

なので“評価”するのではなく、“予測”してみるのが相手を受入れる方法の一つかと思います。

 

予測がはずれれば自分の置いた前提が間違っていたか足りていなかったかということです。

 

すなわち相手を誤解していたか変化に気づかなかったか知らないところがあったか、ということです。

 

逢坂の人物像を“予測”することを読みながら楽しんでほしいと思います。

 

この本から何を学ぶか

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この逢坂という人物像、とても興味深いものがあります。

 

モチベーションが如何に人を突き動かすかという一例を見せてくれています。

 

一方で精力的に動くことで健康や命を削るという代償があるのではないか、読書会ではそんな意見もでてきました。

 

「生きる」ってそれでいいの?

 

そんな疑問が生まれてきます。

 

取り憑かれたように行動している時は後先考えず、ということはよくあります。

 

そしてそれを客観的な視座で見つめる機会も少なくありません。

 

「あくせくするなよ」客観視している自分が自分に言い聞かせます。

 

ところが自分自身を客観視しようとすると、遮二無二行動するエネルギーはでてきません。

 

集中して生産性をあげたいのだが、リスクやら家庭やらほかのことを考えるとパワーが散漫します。

 

そして冷静でありつつ、パワーを最大に出したい、こんなパラドックス的な欲が生まれてきます。

 

逢坂の生き方を見ていると、生きるってどういうこと?そんな疑問が自然と湧き出てきます。

 

そんな人生観も一つです。

 

こんな人物を部下にもつ、上司にもつ、同僚にもつ、取引先でもつ、そんな時に自分はどうマネージするだろう、そんなヒューマンリソース的な視点の考察もできます。

 

読書会の中には「この小説は全然おもしろくなかった」という人もいました。

 

一方で「面白い」と感じた人もいます。

 

この違いはどこから来ているのだろう・・・

 

このように、学習書や啓蒙書のように直接的に何かを学ぶ、ではなく、場面場面をきっかけとして何を感じ、考えるのか、がこの本からの学びではないかと感じました。