起業する前から私の事業を応援して見守ってくれている友人のお宅にお邪魔してきました(^^)
友人の息子さんも一緒。
なぜ息子さんも一緒か(^^)
実は数年前に3人で山にハイキングにいったり、オンラインになる前にシェアハウスで開催していた英語セミナーにも参加してくれたりして、私ともつながりがあるんですね。
就職前にもシェアハウスに相談にきてくれたり。
自分の父親と同世代で、父親とは違った視点で話ができる、そんな感じです。
このご時世なので、人数は限定しお互いの距離もしっかり確保して食事会。
私にとってもありがたいのは、息子さんの世代の感性や物事の捉え方について、直接見聞できること。
当たり前の感覚は当然違うし、知っている前提となる知見も違ったりします。
例えば「エンジニア」の定義。
今の時代は「エンジニア」というとプログラムコードを書くことができる、いわゆるソフトウエアの技術者のことを指すのが一般的です。
一方平成になったころに社会人になった私にとって「エンジニア」はメカや電気、設備といったハードウエアの技術者を指しています。
もちろん当時からソフトウエアのエンジニアもいて、彼らも「エンジニア」と呼ばれていましたが、メインはハードウエアだったんです。
これは世の中で使われるサービスが当時はハードウエアで仕様が決められていたのに対し、現在はほぼソフトウエアで作られるようになったためですね。
車もまだメカニックだったし、オーディオのような電化製品も、コンデンサー・抵抗を使った回路構成、材料などで性能が大きく左右されていました。
今は車はほぼコンピューターで自動制御機能の良し悪しで性能が決まりますし、ずっと身につけているスマホに至ってはカメラや液晶といった性能もありますが、ほぼアプリですね。
そして私が新入社員のころは、パソコンも1人1台というわけではなく、仕事の殆どが紙で処理されていました。
もちろん携帯などなく、会社も個人も固定電話でしたね。
なので、コンタクト手段がかなり限定されていた時代でもあります。
今は世界中でリアルタイムで誰がどこにいるかわかってしまう世界。
その当たり前が違うからこその、課題の感じ方や受け止め方というものがとても新鮮に感じます。
そして話ししているうちに、息子さんが今やっている仕事や彼の持っているスキルが、実は私の事業で今抱えている大きな課題の一つと強い関連性があることが判明。
私の事業の課題を話していたら「それちょっと私にもやらせてもらえませんか」といってくれたんです。
早速もっていたパソコンを取り出して、ちょっとディスカッション。
私のようなおじさんには、彼の技術は宇宙語のようでちんぷんかんぷん。
だからといって外部にその仕事を依頼すると、どうでもいい内容でもかなりの額を請求されることもあり、信用できる人に相談したい、と常日頃思っていたところでした。
これは願ってもない助っ人の登場(^^)
今会社は大赤字なのですぐに報酬を用意できないんだけど、ちゃんと後日お返ししますからね(^^)
数時間があっという間。
私は次の予定があったので中座しましたが、楽しいひとときでした。
この友人も私と同様離婚しているのですが、お子さんとこうやっていい関係をもっているのは、これまでの頑張りがあったからこそだろうなぁ、とちょっとうらやましい気持ちでした(^^)