今回の課題図書はこちら。
論理的ってどういうイメージをもっているでしょう。
私はサラリーマン時代に叩き込まれた、「アンサーファーストで、主張が(できるだけ客観的な)根拠で支えられている」話の組み立てのことと、ず〜っと思っていました(^^)
そんな浅い概念をこの本は最初から壊してくれます。
著者はアメリカの大学で提出した小論文が「評点不可能」と突き返されたのが本書のきっかけだったらしい。
何度書き直しても「評点不可能」だったのが、”アメリカ式エッセイの構造を知って書き直したら評価が三段跳びで良くなった”(本書から表現引用)そうです。
本書は序章で西洋の思考のパターンとして、「論理」「レトリック(修辞法)」「科学」「哲学」の4つの思考の仕方について比較して、”それぞれの論理”について確認するところから始まります。
第1章で論理的思考には文化的な側面があることに着目し、文化の違いが”論理的”の違いにつながるという、まさに”論理的”とは1つではないことへのウォーミングアップが語られます。
第2章では、”論理的”と言われる型が大きく4つあることに触れられます。この中の1つが日本の感想文に見られる「社会の論理」です。
第3章では、4つそれぞれの”論理”から他の3つの”論理”がいかに”非論理的”なのかを語る、とてもユニークな内容です。
著者がなぜアメリカの大学で「評価不可能」とされたのかが、この章でよく理解できます。
そして終章では「多元的思考」という視点での著者の意見がまとめられています。
大変興味深い内容でした。
”論理的”という視点が1つでなかったのは、60年近くも生きていて今更知りました(笑)
本書では”合理的行為”と呼ばれる考え方を4つの領域に分けています。
・形式合理性と主観的要素が高い”経済領域”:代表国アメリカ合衆国
・実質合理性と客観的要素が高い”政治領域”:代表国フランス
・形式合理性と客観的要素が高い”法技術領域”:代表国イラン
・実質合理性と主観的要素が高い”社会領域”:代表国日本
私がサラリーマン時代に”論理的”と信じていた思考は、ここではアメリカの”経済領域”でした。
結論を簡潔に述べてその根拠を記すという流れです。
メールやレポートの書き方はまさにこれに倣っていました。
この思考は「効率的に最大限の収益を上げること」を目的としており、ビジネス界では最も使いやすい論理だったんですね。
早い話が「どっちがお得?」「結果のためには手段選ばず」という考え方です。
一方日本の”社会的領域”ってなんでしょう。
価値の思考は個人それぞれで、社会の中で明確な合意がない。そのため社会秩序を保つには他者への共感を通して明文化していない緩やかな価値のもと、その価値に適合すると考える態度や行動を状況に応じて個人が選択する道徳心が求められる、ということらしい。(本書から表現を一部引用)
なので目的の達成よりも価値に向かう正しい態度や意欲が重視される社会とのこと。
「思いやり」とか「おもてなし」という美的感覚が育つ土壌です。
確かにだいぶ違いますね。
なおフランス式の”政治領域”では、理想の社会の実現が目的なので、理想に近づくための法的・制度的手段が「理性的に」に熟考されることに価値を認めているということです。
またイラン式の”法技術領域”は、目的も手段も個人から独立した集団または自然の摂理により所与のものとして客観的に提示される社会です。
宗教が絶対的な権威になるのはこのためです。
そういう意味ではアメリカって、先述した”経済領域”的な論理思考は、基本ビジネスとか学問といった世界では主流ですが、一方敬虔なクリスチャン(カトリックにしろ、プロテスタントにしろ)も多く、そういう人たちはむしろこの”法技術領域”的な論理も持っているような気がします。
神は絶対である、というところからくる”論理”は、その人達にとってみれば”論理的”であるはず。
アメリカのシットコムで”ビッグバン★セオリー”というコメディドラマがあるのですが、そこに登場する主人公の1人天才物理学者のシェルドンは、典型的な”経済領域”の論理思考を持っているのに対し、敬虔なクリスチャンである母親は”法技術領域”の論理思考に見えます。
なのでこの二人、噛み合わないことがよくあります(笑)
(ただ、最後は母親の威厳でシェルドンは軍門に下るのですが^^)
あくまでも私個人の印象です(^^)
私の狭い視界領域に風穴をあけてくれる、私のとってはとてもいい本でした。
岩波新書とはいえ、わずか181ページなので、できればもう1度一気に集中して読んでみたい本です。
難しいことはさておいて、「相手には相手の論理がある」と思うことができれば、きっとこの著者の願いは届くと思います(^^)
自分の物差しで相手を評価したり判断したりすることなく、相手なりの論理をわかろうとすることで、お互いにいい関係を築ける道が見つかる可能性があがるんじゃないか、ということです。

