今月10月は偶然にもいろいろイベントが盛りだくさん(^^)
今回は母校のOB会です。
中学・高校一貫で私は軟式野球部に所属していて、そのOB会が毎年この時期に開催されます。
この部、創部は昭和27年(1952年)卒業の先輩の代からで、今年の2025年卒業の代まで73年に渡る歴史があります(^^)
以前はOB会幹事の先輩が勤めていた会社の施設を使わさせていただいておりましたが、近年は母校が校舎の建替えをしたこともあり、新しくなった食堂で開催されるようになりました。

この日はあいにくの小雨の天気。
天気がよければ昼過ぎからOB戦として、野球をする予定でしたが、このような天候が予報されていたため中止。懇親会のみの開催となりました。
母校はすっかり変わりましたが、校門の表札は昔のまま(^^)
当初は50人近い出席が見込まれていましたが、都合つかなくなってしまった方々もいて40名ちょっとの参加となりました。
上は昭和39年(1964年)卒業から下は令和7年(2025年)卒業までかなり幅広い世代が参加されました。
そしてこの昭和39年卒業の先輩と2025年卒業の後輩がなんと同じ大学の医学部という偶然(^^)
私が現役のときには、合宿にも顔を出していろいろ”ご指導”(昭和のご指導ですから、古い世代の方はなんとなく想像つくとはおもいますが(笑))をいただいた諸先輩方も、今はかなりのご高齢で訃報も入るようになってきました。
私の4年上の先輩が、母校で教鞭をとっていらっしゃり、近年の現役の状況をお話いただきました。
私達の時代では、卒業後大学に入学した人が監督を務めることになっていました。
私も大学4年のときに監督をやらせていただきました。
このシステムの良さは、現役に世代が近いためコミュニケーションをとりやすいことや、若いがゆえに体力がある、ということ(^^)
難点は、1〜2年で変わってしまうため方針が固定されないことや、監督自身の経験値が積まれないこと。
今は教員の方が固定して監督をしていただいているそうです。
また、春休みと夏休みにそれぞれ4泊、7泊で合宿をしていましたが、今は2泊3日だそう。
なぜそうなっていったのかは、話を聞きそびれてしまいましたが、現在は”短期集中”のようですね。
私はこれまでに体力的&メンタル的に一番きつかったと思う体験のトップクラスなのがこの合宿です(^^)
昭和のスポ根時代で、練習中に休憩も水飲みも認められなかった世代です。
正直、野球技術の向上のためだけはない要素も一部にはあったように感じられましたしね^^;;
私の時代はJリーグもなかったですから野球が花形。中学入学すると野球部、とりわけ中学では主流の軟式野球部(高校は甲子園をめざす硬式野球部が主流です)への入部希望者がめちゃめちゃいました。
正確な数字は覚えていませんでしが数十人いたように思います。
それが夏休みの合宿前に2〜30人くらいまで減って、夏合宿が終わった後の練習では13人くらいになっていて、そのメンバーが中学終わりまで続いたように記憶しています。
まあ、キツかったですね^^;;
今の言葉でいえば理不尽なこともありましたが、それに耐えられたからこその今、という側面もある気がします。
そんな合宿の話をすると、かなり若い世代まで共感してもらえたので、このOB会に参加された方々は、さながら”生き延びた”つわものたち、かもしれません(笑)

こちらは懇親会終了後の記念写真。(顔出しOKかどうか不明なのでマスキングさせていただきました)
二次会は若手にグループに合流させてもらいました。
平成5年卒業、平成13年〜14年卒業あたりが中心です。
平成5年卒業メンバーは、ちょうど私が監督をやっていたときの中学3年生で、当時秋の私立中学だけで開催された「私立リーグ」で優勝した、思い出深いメンバー(^^)
学校にiPadを導入したMDM(Mobile Device Management)の話や、黒板とホワイトボードの比較など、野球とは全然関係ない話で盛り上がりました(笑)
私は肩を壊してからというもの、全然ボールを投げなくなり、自然と野球をプレイしなくなってしまいましたが、来年のOB会ではOB戦にちょっとでてみようかな、なんて気になってしまいました。
OBになってから作ったユニフォームがあって、まだ捨てずにとってあったはず。
その前にボールなげて、バッティングセンターいかないと(笑)