NHKの「歴史ヒストリア」で「緒方洪庵」と「二宮金次郎」がとりあげられていました。
(画像:NHKホームページより引用)
この日の番組タイトルは「病 災害 江戸の先人かく戦えり」でした。
緒方洪庵は、1810年生まれの医者、蘭学者で天然痘治療に貢献したこと、福澤諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲など幕末から明治維新にかけて活躍した多くの人材を輩出した「適塾」を創設したことで有名です。
漫画「JIN」にも登場しているそうな。
一方二宮金次郎は、現在の小田原に1787年に生まれ、農業経営、思想家として一農民でありながら多くの藩に請われて農政改革を進めた人物。
コロナウイルスという病とそれによる経済的影響というダブル試練に直面している現在を意識した構成かもしれません。
二宮金次郎はそういえばビジネススクールでの課題図書だった内村鑑三の「代表的日本人」に登場していたなぁ、と思い出し、書棚から久しぶりに手にとって読んでみました。
内村鑑三は、日本というものを世界に知ってもらうため5人の日本人を選んで英語で紹介した本です。
明治になったばかりの頃、この代表的日本人に加え、新渡戸稲造の「武士道」、岡村天心の「茶の本」をあわせた3冊が、いずれも英語で書かれて世界に発信されました。
私もこれら3冊は日英両語で書かれている講談社の本を持っています。
二宮金次郎は、巻を背負って本を読んでいる姿の銅像にあらわれているように「勤勉」のモデルとしても扱われています。
代表的日本人によると、二宮金次郎は親を亡くして叔父家族の世話になっていた体験から、
自然が正直にこつこつと働く者の味方であることを学び、のちのすべての改革は、"自然はその法に従うものには豊かに報いる"という明確な原理に基づいて進められた
とあります。
これ、原書の英語ではこう書かれていました。
He learnt that Nature is faithful to honest sons of toil, and all his subsequent reforms were based upon this simple principle that Nature rewardeth abundantly them that obey her laws.
これを「英語耳をひらこう」でやっているように「フレーズの塊」で意味をとらえてみます。
He learnt : 彼は学んだ
that Nature is faithful : 自然は味方であることを faithfulは「忠実な」
to honest sons of toil : 正直にこつこつと働くもの toilは「苦労」
and all his subsequest reforms were based : 後のすべての改革は基づいて進められた
upon this simple principle : この明確(シンプル)な原理に基づいて
that Nature rewardeth abundantly them : 自然は豊かに報いる rewardethはrewardの三単現の古い形
that obey her laws : その法に従うものに
こんな感じでしょうか。
なんせ明治初期の英語なのでちょっと古い表現かもしれませんね(^^)
さて中身の方に戻りますが、"自然はその法に従うものには豊かに報いる"って、今の世界でもあてはまることが多々あるなぁ、と感じます。
二宮金次郎の時代で「自然」は文字通りNatureのことだと思うのですが、現代では「人」も含んでいるんじゃないかなぁと。
たとえば「今食べたいと思うものは身体が求めているもの」という考え。
これ説明するの難しいのですが、贅沢やわがまま的な観点ではなく、身体が欲しているという感覚で「食べたいな」という気持ちです。
すきやばし次郎で寿司食べたいとか、シャトーブリアンをドンペリと一緒に、とかそんなんじゃないくって(笑)
今日は魚が食べたい、とか、鶏肉がいいな、とかトマト食べたいとか、具体的な食材がイメージされる場合です。
その結果身体の健康というものが報われる(rewardされる)ということです。
課題が出た時に、起きた現象に目を向けるのではなく、当事者の視点でどこに背景があるかをさぐるようなもの。
二宮金次郎の専門である農業は自然科学が相手なので、書けなきゃいけない手間は惜しまず愚直に行動することが王道である、ということと同じスタンスのように思えるんです。
それに自然相手だと結果はすぐには出ず、目指す方向に向かって行動し続けるという継続力が必要なのですが、人相手でも同じようなことが少なくありません。
自分都合の視点に陥って相手の心の内が見えなかったりしていないか
面倒だからといって手を抜いていないか
一攫千金で結果にしか目が向いておらず、途中のプロセスをおざなりにしていないか
そんな自問自答をするようになったのは、この仕事になってからかもしれません。
ベンチャー立ち上げて、ファンドから出資受けて、IPOして、売却、これがなんか現在の”サクセスストーリー”みたいな言われ方を耳にします。
これはこれでアリですが、この一連の流れの目標がどこなんだろうなぁ、と。
ベンチャー立ち上げること、ファンドから出資もらうこと、IPOすること、売却すること、それぞれが目的になってないかと感じることも少なくないです。
なんのための事業なんだろうなぁ、という疑問。
立ち上げ、出資、IPO、売却なんてほんの通過点で、本来事業の醍醐味はそれぞれの通過点の間にあるプロセスにあるんじゃないかなぁ。
結果視点とプロセス視点で二宮金次郎に対する感じ方が違うんじゃないかなぁ、という勝手な仮説(^^)