今回の読書会の課題図書はこちら。
甲南大学で「ファシズムの体験学習」を10年ほど行ってきた著者が、その体験を中心に「なぜ集団は暴走するのか」を考察した内容をまとめています。
ファシズムという言葉には、どこか過去の出来事という印象があります。
ナチス・ドイツのような極端な事例を思い浮かべて、自分たちとは切り離されたものとして捉えてしまう感覚です。
ただ、それはいつでもどこでも起こりうる出来事かも。
本書では、大学の授業の中で学生たちがある種の空気に巻き込まれていく様子が描かれています。
最初は違和感を持っていたはずの学生が、徐々にその場のルールに適応し、やがてはそれを当たり前のものとして受け入れ、そしてその状態を周囲にも求めるようになっていく。
その変化は、特別なきっかけがあって一気に起こるものではなく、ごく自然な流れとして進んでいきます。
本書は体験学習の意義やその具体的な方法について多くの紙面を割いていますが、私自身が強く印象に残ったのはそこではありませんでした。
ファシズムが決して過去の特殊な出来事ではなく、条件がそろえば現代でも起こりうるという点です。
同調圧力や、権威への従いやすさ、不安や恐怖といったものが重なったとき、人は思っている以上に簡単にその状態に入っていくように思えます。
巻末のあとがきに、コロナ禍の議論について触れられていました。
著者は、「自粛警察」と呼ばれる現象が広がった背景として、政府が自粛要請という政策をとったことが大きな要因であるとし、当時の政府の対応を批判しています。
ただ、自分としては、それはもう少し複雑な構造なのではないかと感じています。
確かに政策の影響はありますが、同時にそれを強めているのは国民側の意識や行動でもあるはずで、政府の方針もまた、そうした社会の空気の中で形成されている側面があるように思います。
簡単に批判をするのには無理があるかな、と。
読み終えてから少し考えたのですが、もしファシズムにある種の「魅力」があるとすれば、それは安心感なのかもしれません。
一つの権威の中に取り込まれることで、自分の立ち位置が明確になり、その外側を排することで安全が確保される。そうした感覚です。
そう考えると、ファシズムに対抗する考え方があるとすれば、それは「多様性」なのではないかという気もしています。
異なる価値観を認め、単一の正しさに収束しない状態を保つという意味で、方向性としては対極にあります。
ただ一方で、多様性は必ずしも安心を与えてくれるものではありません。
むしろ、正解が一つに定まらない不安定さを含んでいます。
だからこそ、人は状況によっては多様性よりも統一や強いリーダーを求めてしまうのかも。
そう考えると、多様性だけでは不十分で、「安心をどうつくるか」という視点も同時に必要になりそうです。
歴史を振り返ると、第二次世界大戦期のファシズムは最終的に武力によって終結しました。思想そのものが自然に消えていったわけではありません。
つまり、条件がそろえば再び現れる可能性を持ち続けているとも言えます。
最近の世界的な右傾化の流れを見ても、あながち絵空事ではないように思います。

